【人には飽かぬが病に飽く】とはどんな意味の言葉なの?

ことわざ・慣用句

「人には飽かぬが病に飽く」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

この言葉の意味を知ると、病気を抱えている人はとても悲しくて、切なくなると思います。

そして、病気で苦しんでいる人のお世話をしている立場の人たちも複雑な気持ちになるかも知れません。

「人には飽かぬが病に飽く」とはどんな意味の言葉なのか、解説したいと思います。

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「人には飽かぬが病に飽く」の意味とは

「人には飽かぬが病に飽く」とは、病気をしている人に対する気持ちを表しています。

それは、

その人に飽きることはないけれど、その人が長く患っている病気には飽きる。

という意味です。

病人は好き好んで病気になっているわけではないので、その人には何の責任もないので責める気持ちにはならない。

しかしながら、長く患っている病気のせいで周りは負担を感じることもあるので、病気には飽き飽きするという苦しい胸の内を表す言葉なのです。

治ることのない病気を抱えている人を看病する家族などが、病気を恨みたくなる気持ちをよく表している言葉ですよね。

病人には何の罪もないけれど、病気はもう勘弁して欲しいと心の声がよくわかります。

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「人には飽かぬが病に飽く」の使い方

「人には飽かぬが病に飽く」の使い方を例文で見てみましょう。

今日も病院に行くけど、病室にいてもすることないのが退屈だわ。
本を読むのも少し飽きてきたし。

こんなに長い入院になるなんて思わなかったからな。

お義母さんが一番つらいのはわかってるけど、私も少し疲れてきたかな。
人には飽かぬが病に飽くって言葉が頭をよぎるわ。

一日も早く元気になってもらわないと、家族の方が倒れてしまうと困るな。

このように、長く病気をしている人に付き添ったり、看病をしたりするのは、何もしていないようでもとても負担です。

自分たちの生活も変わってしまうので、精神的な苦悩の大きさは計り知れません。
そういう気持ちをどこにもぶつけられないので、なおさら苦しいのですよね。
そのような気持ちは「人には飽かぬが病に飽く」という言葉で表現するしかないのです。

違う意味にも使われる

「人には飽かぬが病に飽く」は、看病する人の苦労を表現する言葉ですが、少し違う意味でも使われることがあります。

それは、なかなか治らない病気を患っている人に対しては、はじめのうちは心配するのに、そのうち病気に慣れてしまい、心配しなくなる様子を表す時にも使われます。

命にかかわるような重病であれば、慣れることもないでしょうが、いわゆる「持病」として長く付き合っていく病気などは、周囲の人たちも慣れてしまいます。

病気の状態が普通になるので、病人という意識も薄れがちなのです。

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「病に主なし」

「人には飽かぬが病に飽く」という言葉は、長い闘病生活を送る人を世話する家族などの苦しい気持ちがよく伝わります。

病人を責めることはできなくても、病気に対して思い切り叫びたくなる気持ちにもなるでしょう。

ですが「病に主なし」という言葉もあります。

「病に主なし」とは、どんな人でも病気にかかる可能性はあるという意味です。

自分だけは病気にかからないと健康体に自信を持っていたとしても、絶対に病気にならない人はいないのです。

いつ自分が看病される側の立場になるかも知れないので、病人を責めるようなことはしてはいけませんね。

まとめ

病気は誰もがかかりたいとは思っていません。

どんなに気を付けていても、絶対に病気を防げるわけないので、病気になった人の苦しみを理解できる心を持っていたいですよね。

「人には飽かぬが病に飽く」という言葉を口にしたくなるのは、それだけ長くお世話をしているからです。

苦しい胸の内から漏れ出す言葉としては、仕方ないのでしょうね。

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