【嘘をつかねば仏になれぬ】とはどんな意味があるの?

ことわざ・慣用句

嘘をつくのは良くないことだと子供の頃から教えらるので、嘘=悪と思われています。

ところが「嘘をつかねば仏になれる」ということわざがあるのです。

まるで嘘をつくことをすすめているようです。

他にも「嘘も方便」のように、嘘を認めるようなことわざもあります。

その反面、嘘はダメだということわざもあるのです。

「嘘をつかねば仏になれぬ」をはじめ、嘘のことわざの意味をご紹介しましょう。

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「嘘をつかねば仏になれぬ」の意味

嘘をつかねば仏になれぬとは、時と場合によっては、嘘をついても地獄に落ちるようなことはないという意味です。

仏になれぬという表現が強いので、嘘をつかないと成仏できないような印象を与えますが、積極的に嘘をつくようにすすめているわけではありません。

このことわざは、仏の悟りの世界を教えるために、必要な嘘もあるということから生まれたことわざです。

「大疑は大悟の基」という悟りに関する言葉の意味もチェックしてみませんか。

「嘘も方便」の意味

嘘も方便は、よく聞くことわざです。

このことわざの意味は、嘘もつかねば仏になれぬと同じです。

仏教では、相手を救うためにつく嘘があると考えられています。

相手を傷つけたり、陥れるための嘘ではなく、救うための嘘なら許されるという意味なのです。

「嘘から出たまこと」の意味

嘘から出たまことは、嘘のつもりだったのに、その嘘が結果的には本当のことになるという意味です。

その場しのぎでついた嘘が、後から現実になったりすることがあるので、このようなことわざが生まれたのでしょう。

同じ意味のことわざには「根も葉もない嘘から芽が生える」というのもあります。

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「嘘にも種がいる」の意味

嘘にも種がいるとは、相手に本当のことだと信じ込ませるためには、嘘にも準備が必要だという意味です。

ただ、このことわざは嘘をつくために使われるわけではなく、どんなことにも入念な下準備が必要だと伝えるために使われています。

「嘘は後から剥げる」の意味

嘘は後から剥げるとは、いつまでもバレない嘘はないという意味です。

嘘をつくと挙動が不審になったり、つじつまの合わないことが出てしまうので、すぐにバレるからでしょう。

「嘘つきは泥棒の始まり」の意味

嘘つきは泥棒の始まりは、子供に「嘘はダメ」だと教える時によく使われます。

このことわざの意味は、嘘を平気でつくようになると、良心が薄れて盗みすら平気でするようになってしまうという戒めです。

はじめて嘘をついた時に感じた後ろめたさも、そのうち平然と嘘をつくようになります。

盗みも最初は良心の呵責を感じても、そのうち麻痺して平気になってしまいます。

嘘は悪いことだと教えるために、泥棒という悪のイメージを使ったことわざです。

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「嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれる」の意味

嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれるということわざも、嘘つきは泥棒の始まりと同じように、子供にはダメだと教えるためによく使われます。

閻魔様とは、死んだ人の生前の行いを裁くと言われています。

その閻魔様は、嘘をついて人を傷つけたり、騙して悲しませたりした人の舌を引っこ抜くのです。

嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれると同じく、「嘘を言えば地獄へ行く」ということわざもあります。

「嘘と坊主の頭は結ったことがない」の意味

嘘と坊主の頭は結ったことがないとは、これまで一度たりとも嘘を言ったことがないという意味のことわざです。

お坊さんの頭は毛がないので、結えるわけがありません。

「結う」と「言う」をかけて生まれた言葉です。

まとめ

嘘に関することわざには、「嘘は悪い」と教えるものと「嘘も時と場合には許される」という2つの意味に分かれます。

人を傷つけたり悲しませる嘘は悪いことなので、そこが分かれ道なのでしょう。
嘘によって物事がスムーズになるとか、嘘によって誰かを救える場合もあるので、嘘が全て悪いわけではないのですよね。