ことわざの中でも格言っぽいので、何か深い意味があると思われる「水清ければ魚棲まず」です。
水がきれいだと魚は喜びそうなものですよね。
川が汚染されて魚がいなくなったと言われた高度経済成長の時代から、川や海をきれいにする運動を続けて、清流を好むような魚が戻ってきたなんてニュースを見た記憶があります。
やっぱり魚にも人間にも、水はきれいな方がイイんじゃないの?
なのに水清ければ魚棲まずとは、どんな意味があるのでしょうか。
水清ければ魚棲まずの意味
水が澄んで透明度が高い状態は、確かに魚にとって棲みやすそう見えますが、一見すると濁って汚れて見える水でも、じつはプランクトンが豊富に生息していて、魚にとっては栄養を摂りやすい環境だったりするようです。
清流を好む魚もいれば、濁ったくらいの水を好む魚もいるわけです。
あまりにも水がきれいだと、水に含まれる栄養も少ないから魚が棲みにくいというわけです。
ことわざの意味としては、人間もあまりにも清廉潔白過ぎてしまうと人から好かれないということを伝えています。
人間も少しくらい間抜けなところがあったり、ちょっと悪ふざけするくらいの方が愛嬌があって親しみやすく、人から好かれるという意味です。
たしかに、あまりにも真面目で堅苦しいことばかり言うような人は、人から好かれにくいと思います。
清いことは良いことだけど、あまりにもキレイ過ぎると近寄りにくく感じてしまうものですよね。
このことわざは、孔子の教えから生まれたそうです。
孔子の教えは、人間が生きていく上で大切なヒントが沢山ありますよね。
水清ければ魚棲まずに似たことわざ
水清ければ魚棲まずという教えは、世渡り上手になる方法をわかりやすく教えようとしたものです。
似たようなことわざは他にもあります。
「人と屏風は直ぐには立たず」というのも、何でも真っすぐに考える真面目一辺倒では、世の中では通用しないということを教えています。
屏風というのは、数枚を折りたたむように繋げたもので、風や日光、視界を遮るために使われてきたものです。
豪華な装飾を施した屏風は、美術品としての価値もあるものです。
その屏風を立たせるためには、つなぎ目に角度をつける必要があります。
真っすぐに伸ばした状態では、屏風は立ちません。
水清ければ魚棲まずと同じように、人と屏風は直ぐには立たずというのも、真面目なだけではダメだと言うことを教えているのです。
まとめ
人と言うのは勝手なモノで、不真面目な人間には「真面目になりなさい」と言うし、堅物で真面目過ぎる人には「少しくらい不真面目でもいいのに」と言ったりします。
どちらにしても、ほどほどが良いということでしょうね。