「どこの馬の骨だかわからない」と言われて気分が良くなる人はいませんよね。
よく意味を理解していなかったとしても、その言葉が褒めではないことくらいはわかります。
しかし、馬に失礼だよ
慣用句には
動物はよく使われるけど
大抵は失礼よね
たしかに、今の時代には合わないかも知れませんが、古くから使われていますし、世の中に広く知られているのですからそこはまあ・・
ともかく、なぜ「馬の骨」が慣用句として使われたのか、その由来や意味について調べてみました。
「どこの馬の骨だかわからない」とは
「どこの馬の骨だかわからない」もしくは「どこの馬の骨がわからぬ」の意味は、
素性の知れない者をあざけっていうことば
新明解故事・ことわざ辞典
素性というのは、血筋、家柄のことですが、もう少し広い意味で言うと、育った環境、生い立ちということです。
素性がわからない人物の言うことは信用できないとか、どこの誰なのかわからない人物とは付き合わない方が良いなど、いい意味ではありませんね。
その人物がどこの誰なのかわからないというのが「どこの馬の骨だかわからない」の意味なのですが、わざわざ馬の骨を引っ張り出さなくても「素性がわからない」とか「どこの誰かわからない」で伝わりそうなものですよね。
なぜ馬の骨を使った慣用句になったのでしょう。
馬の骨の由来
「どこの馬の骨だかわからない」と素性のわからない人に対する慣用句に使われた「馬の骨」の由来は、古い中国のことわざと言われています。
中国のことわざに「一に鶏肋、二に馬骨」というのがあります。
鶏肋というのは、ニワトリの肋骨のことです。
とても細いので、使い道がないものとして扱われてきました。
馬骨とは馬の骨のこと。
馬の骨は何の役にも立たないだけじゃなく、大きくて邪魔になるものとして扱われてきました。
つまり、鶏肋も馬骨も役に立たないものなので、「一に鶏肋、二に馬骨」は誰にも必要とされないものという意味なのです。
誰にも必要とされないものから、素性がわからないのでまともに付き合う相手ではないという嘲りをあらわすモノとして使われたという説があるのです。
素性に対する意識
しかし、血筋や家柄、家系がわからないだけで役に立たないものという意味の馬の骨にたとえられるなんて、なんともひどい話のように感じます。
ですが、現代でも就職するときには履歴書が必要ですし、紹介制度というのは信用されやすいのも事実です。
とくにそういう情報を調べるのが困難な時代には、素性がわからない人物への警戒心も強かったのではないでしょうか。
まとめ
「どこの馬の骨だかわからない」という言葉の由来は、中国の古いことわざだとわかりましたが、素性のわからない者のことを指すようになったのは日本だったようです。
馬は人間にとって大切な生き物だったはずなのに、ひどい喩えに使われることが多いのは、なんとも言えない複雑な心境です。