「人生を棒に振る」など、それまでに培ってきたものを一気に失うことを「棒に振る」と言います。
しかし、なぜ「棒に振る」と言うのでしょう。
失うことと棒とはどんな関係があるのか、わかる人はどのくらいいるでしょう。
この言葉の意味から、どのような様子が由来になったのか想像するのは難しいですよね。
この言葉の由来になった語源とは、どんなことだったのかという疑問を調べてみましょう。
「棒に振る」の意味
「棒に振る」とは、よく知られているように、
今まで積み上げてきたものを全て失うこと、無駄にすることです。
自ら望んで捨てるわけではなく、自分の気持ちに反して失うことや台無しにすることを表す慣用句として「棒に振る」を使います。
「棒に振る」の由来
「棒に振る」という言葉の由来になったのは、天秤棒という荷物を担ぐ道具からだと言われています。
天秤棒とは、長い棒の両端に野菜などを入れたかごを吊り下げ、それを肩に担いで売り歩くための道具です。
江戸時代には、お店を持たずに天秤棒に商品を入れて売り歩く商売人が沢山いました。
世界一の人口密集地だった江戸の街ですから、野菜や魚などの食べ物を売り歩く商売が繁盛したのです。
このような天秤棒を担いで売り歩く商売のこと「棒手振り(ぼてふり)」と呼んでいました。
棒手振りが、担いでいる品物を全て売りさばくことが「棒に振る」の語源になったと言われています。
「棒手振り」が「棒に振る」に転じた由来
売り物をすっかり売りさばき、荷物が空になることから、全てを失うという意味の「棒に振る」の語源になったと言われています。
しかし、品物を全て売りさばいたのなら、その代金が手に入るはずなので、「棒に振る」の意味とは違います。
むしろ、全てを売りさばいた方が儲けがあるはずです。
なぜ積み上げてきたものを無駄にするとか、失うという意味の「棒に振る」に転じてしまったのか不思議ですね。
なぜ「棒手振り」が売り物を全て売り切ることから「棒に振る」という言葉になったのか、その理由として考えられることを探してみました。
利益が少ない説
棒手振りという商売は、店を持たなくても商売ができるので、初期投資がほとんど必要ありません。
まさにカラダ1つではじめられる商売です。
ですが、売り物を仕入れる必要があります。
そのためには、問屋や生産者、市場などで品物を仕入れなければいけません。
しかし、問屋の方では、店を構えているわけじゃない棒手振りは仕入れの量が少ないため、卸値を高く設定します。
つまり、頑張って全てを売り切ったとしても、手元に残る利益はほんの僅かです。
全てを売りさばいても、たいして残るものがないことが、「棒に振る」の由来になったのではないかという説があります。
信用を失う説
棒手振りは、今で言うところのフリーランスです。
どこにも属さずに、自分の裁量だけで商売します。
真面目に商売を続けていると、棒手振りでも常連になってくれるお得意様ができます。
信用されることは商売にはとても重要なことなのは、今も昔も同じです。
ところが、そういうお得意様に対して、何か失敗してしまうと一気に信用を失います。
棒手振りにお得意様ができるまでには、大変な苦労があるはずです。
せっかく苦労してお得意様ができるまでになったのに、その信用を失うのは、それまでの地道な苦労が無駄になってしまうこともあったのでしょう。
それが「棒に振る」の由来になったという説があります。
どちらの説が正しいのか
「棒に振る」の語源になった棒手振りの2つの説は、どちらが正解なのかは不明です。
色々な説がある中で、どちらも有力な説です。
「棒に振る」の意味から考えると、信用を失ってしまう失敗が由来になったという説の方がしっくりすると思います。
いくつか語源として伝わっていますが、現在の「棒に振る」の使われ方としては、信用を失くす方が合っているのですが、言葉は時代の流れで変化するので、もともとは違った可能性も否めません。
「棒に振る」の類語
「棒に振る」と同じように、全てを失うことを表す言葉に「水の泡」があります。
「今までの努力が水の泡となってしまった」などの使い方をしますね。
水の中にできた泡は、水面に出ると消えてしまいます。
あっという間に消えてしまう様子から、努力が成果が消えてしまうという意味で使われるのです。
まとめ
「棒に振る」の語源になったのが、天秤棒を担いで物を売り歩く商売だったとは驚いた方も多いのでは。
棒が欠かせない商売が数多くあったからなのです。
現在では見かけなくなった商売方法ですが、江戸時代から明治頃までは珍しくなかったようです。
八百屋や魚屋さんなど、食べるものを売る商売でお店を構える方が珍しかったのです。
人々になじみ深い商売だからこそ、多くの人たちが使う言葉の由来になったと考えるのは自然ですね。