「ひそかに諫めて(いさめて)公(おおやけ)にほめよ」という言葉を聞いたことがありますか?
初耳の人でも、そこ言葉の意味は理解できるのではないでしょうか。
なぜ「ひそかに諫めて公にほめよ」という言葉が伝わっているのか、その理由になるような歴史的な事件についてもご紹介しましょう。
「ひそかに諫めて公にほめよ」の意味とは
諫めるとは、悪いところを指摘して改善するように促すことです。
つまり「ひそかに諫めて公にほめよ」とは、人を注意する時は人前ではなく誰も見ていないところでこっそりと注意した方が良い。
また、ほめる時にはできるだけ人が多く見ているところでほめるようにすると良い。
このように、目上の者が目下の者に接する時の注意点とコツを上手くまとめている言葉なのです。
人が大勢見ている前で、わざと見せしめのように叱りつけるようなことは、人を傷つけることになります。
その傷はやがて恨みとなり、いずれは自分に刃を向けるかも知れませんよね。
逆にほめる時には人前で大げさなくらいにほめてあげれば、その人は自信をもってさらに努力しようとするでしょう。
人の上に立つ者の極意を凝縮させたようなことわざです。
戦国時代のクーデターにも影響
江戸幕府が戦のない平和な世の中を作るまでは、何百年に渡り各地で戦が絶えない国でした。
都のある京でさえ、権力争いの戦は頻繁に起こっていました。
戦国時代には、武士の身分が激しく入れ替わるような下克上や主君を裏切るクーデターもありました。
中でも世紀のミステリーであり、戦国時代最大のクーデターと言われる本能寺の変は、歴史に詳しくない人でも知っていますよね。
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、本能寺で主君である織田信長にクーデターを起こした明智光秀の人生を描いています。
歴史的には謀反人、裏切り者というイメージが定着している明智光秀ですが、なぜ織田信長を討つ決断をしたのか・・という理由は今もまだ謎です。
色んな説がありますが、今となっては光秀の本心を知ることもできないので、推察するしかありません。
よく聞くのが、明智光秀は織田信長にもはっきりと意見を述べる人だったので、それが信長の逆鱗に触れて、激怒させることもあったとか。
そして、他の家臣が見ている前で罵倒して、激しく叱責したことで明智光秀は恨みを募らせていったのが本能寺の変につながったという説です。
まさかそれだけが命がけのクーデターの理由とは思えませんが、人前で罵倒されたりすれば、誰しも敵意を抱くものではないでしょうか。
人たらしだった織田信長
織田信長は、怒りっぽくて怖いイメージに思われがちですが、それだけではなく、とても魅力的な人物だったと言われています。
アメとムチを上手く使いこなす、いわゆる人たらしだったという説もあります。
しかし、もしも怒りのあまり明智光秀を他の家臣の前で激しく叱ってしまったのが真実ならば、その時に誰か「ひそかに諫めて公にほめよ」と忠告してあげれば、もしかして運命は変わっていたかも知れませんね。
まとめ
「ひそかに諫めて公にほめよ」という言葉は、自分が人の上に立った時や、年下の後輩などと接する時などに役立ちます。
注意しなければいけないことがあったとしても、こっそり注意して改善できるようにアドバイスすることができる人になりたいと思います。