口約束はいざという時には役に立たないから、きちんと文書として残しておくことは大切です。
書いた物が物を言うとは、かなり古いことわざなのですが、今も昔も口約束は当てにならないことは共通しているのですね。
書いた物が物を言うということわざの意味はそのままのことですが、「書いた物」は時代とともに変わっているものもあるので、今と昔の「書いた物」を比較してみました。
証文と呼ばれたもの
江戸時代以前にも様々な文書が証文と呼ばれて約束や証拠に使われてきました。
例えば離縁状というのは、夫婦関係を解消する際に交わす証文ですから、今の時代では離婚届になります。
借用状、借券、借書はお金を借りる側が貸主に渡すものです。
借用書というのは、昔からあったわけです。
返抄という文証は、今で言うところの領収書です。
金銭に絡むトラブルを防ぐために、その時代に応じた証文が作られてきました。
起請文という証文
書いた物が物を言うということわざは、後から書類として証拠になるものが強いという意味です。
法的な証拠になる証文なら間違いないですが、一般的な約束事を書面に残す場合は、契状という契約書を残しました。
落語の演目にある「三枚起請」は起請文という神仏に誓う文書がもとになっています。
起請文は約束したことを神様、仏様に誓うことを証明する文書ですから、それを破ると罰が当たると考えられてきました。
三枚起請に出てくる熊野神社の起請文は、とくに効力が強いと伝わっています。
熊野三山では、神様のお使いはカラスです。
熊野の起請文を破ると、カラスが三羽死んでしまい、地獄に落ちてしまうといい伝わっていました。
三枚起請では、年増の遊女が自分のお客を手放さないために、年季明けにはきっと夫婦になりましょうという約束事を熊野神社の起請文にして客に渡していました。
いつかきっと夫婦になれると信じて、ずっと通い続けているバカな男がいて、その男同士が偶然知り合いだった・・。
3人が顔を会わせて同じ文言が書かれた起請文を見せ合って、騙されたことを知って遊女に復讐することを企む・・というのが三枚起請という落語の演目です。
信心深い人が多かった時代には、神仏に誓う起請文は十分に契約書的な意味を成したのでしょう。
証書と呼ばれるもの
現在でも、口約束がもとでトラブルになることは多々あります。
例えば結婚詐欺を働こうとする人は、結婚を約束するような証拠を残すことはしません。
証拠がなくても犯罪を証明することはできるとしても、文書が残っていれば話は早いですよね。
口約束を文書にするだけの書面は、法的には効力はないのですが、それでも心証というところに訴えかけるのには十分です。
昔で言うところの証文と言う意味の証書は、公証役場で公証人が確定する書類なので、私人同士の契約でも確かな効力を持ちます。
身近なところでは、卒業証書や修了証書があります。
その学校をきちんと卒業したことを証明するもの、定められた課程を修了したことを証明するものです。
学歴や経歴を証明する際に必要なものですが、履歴書を提出する時に卒業証書や修了証書を添付することはまずありませんけどね。
まとめ
書いた物が物を言うということわざは、生きている間に経験したくないトラブルを避けるためにはおぼえておきたいと思います。
人を信用することも大切ですが、人は変わることがあります。
本当に信用していた人が裏切ることを考えるのは嫌ですが、文書を交わすことを嫌がる人は、信じない方が安全だと考えられますから。
人に騙されないように、書いた物が物を言うということわざをいつも心の片隅に残しておきましょう。