今でも親子の間でケンカになったりすると、親子の縁を切ることを示す「勘当」を使うことがあります。
派手な親子喧嘩をしたことがある人なら、もしかしたら言われた経験があるかも知れませんね。
「勘当だ~、顔も見たくない、出ていけ~」なんて派手な親子喧嘩は昔も今もあるでしょう。
ただ、いくら勘当しても親子の縁は切れないはずです。
なのに勘当という言葉を使うのはなぜなのでしょう。
勘当の意味
勘当は、親子の縁を切る時に使われますが、昔は親子以外にも主人と使用人の間でも使われていたようです。
今のように、ただ縁を切るだけではなく、もともとはきちんと法律的な効力があったようです。
江戸時代では、勘当を認められると、勘当された子は相続もできないし、長男や長女でもその家を継ぐことはできなくなります。
しかも、もしも勘当された子が借金したりしても、親が肩代わりを迫られるようなこともなくなります。
それなりの効力があったのが勘当という制度だったのです。
しかも勘当は明治時代までは法的な効力を持っていたのです。
明治時代になると、戸籍が作られるようになりましたから、明治時代に勘当されると、戸籍からも切り離されることになったのです。
現在の勘当の効力
今の時代、勘当しても戸籍上の親子の縁が切れることはありません。
親子はどこまでも親子であることは変えられないのです。養子縁組による親子関係などは、戸籍上で親子関係を切る制度はあるようですが、親子関係が悪くて「勘当だ!」といくら叫んでも、現実的にはなんの意味もないわけです。
勘当に代わる言葉
勘当しても、昔のような勘当の効力がないのに、なぜか「親子の縁を切る」となると勘当がしっくりきてしまいます。
しかし他にも言い方はあるはずです。
勘当と同じ意味で使うとしたら、こんな言葉があります。
肉親の縁を切るという意味の言葉です。
勘当よりも絶縁の方が今の時代に合っているのかも。
落語の世界に出てくる勘当息子
江戸時代や明治時代が舞台になっている古典落語の中には、親子の縁を切られた勘当息子がよく出てきます。
大きな商店を営んでいる家の若旦那が、遊び惚けていて勘当されるというのはよくある設定です。
有名なところでは「六尺棒」という落語です。
勘当された息子と父親とのバカバカしいやり取りです。
もう一つ有名な落語が「火事息子」です。
火事息子は、勘当された息子が火消しになって実家の家事を防ぐために表れたというお話。
勘当されたけれど、実家のことを心配していた息子と、勘当したけれど息子のことが気になって仕方ない両親とのちょっとほっこりしたお話です。
他にも沢山ありますが、若旦那は甘やかされて育つため、道楽者になってしまうという設定が多いのですから、甘やかす親の方にも責任がありますけどね。
落語はもともとはお寺でお坊さんが仏教の教えを面白おかしく聞かせたことが始まりだと言われています。
そう考えれば、勘当される息子が出てくる落語は、親子関係を教える意味では良い題材になりますね。
まとめ
勘当だ!って言われた経験はありませんが、親子の縁はどんな手続きをしても切れるものではないと思うので、勘当という制度がなくなった今もこの言葉が使われるのには、親が本気で怒っている証拠だと思った方がいいですよ。
勘当なんて言わせないように気をつけることにします。