【目からうろこが落ちる】とはどんなことが由来で生まれたの?

ことわざ・慣用句
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目からうろこが落ちるということ、人生の中に何度か経験することもあると思います。

「そういうことだったのか!」と思わず大きくうなずいてしまうような時に使いますよね。

目からうろこが落ちるということわざは、日常的にも使われることが多いですよね。

ですが、実際に目からうろこが落ちるなんてことはありません。

いったい何がきっかけで生まれたことわざなのでしょうか。

当たり前に使う言葉ですが、語源に疑問を持った方はぜひチェックしてみてください。

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目からうろこが落ちるの意味

ほとんどの人が知っているとは思いますが、念のために目からうろこが落ちるの意味をご説明します。

目からうろこが落ちるとは、何かのきっかけで、今まで理解できなかったことやわからなかったことが理解できるようになるという意味です。

今までわからなかったことや理解できたり、悩みや迷いの原因になっていたことを解決する方法が見つかった時などに使います。

目の表面に魚のうろこのようなものが貼りついていたら、視界はひどくぼやけてしまいますが、それが落ちるとスッキリと視界が開けて良く見えるようになります。

目からうろこが落ちたかのように物事がよく理解できるようになったという使い方をするわけです。

実際に目で見える世界がぼやけていたものが見えるようになったから使うことわざではないのです。

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目からうろこが落ちるの由来

目からうろこが落ちるということわざは、新約聖書に書かれていることが由来になったと言われています。
イエス様の弟子の中にサウロという人がいました。

ある日、サウロの目が突然見えなくなってしまいます。

視力を失ってしまい悲しんでいるサウロのことを案じて、同じくイエス様の弟子の一人がサウロのために祈りを捧げます。

すると、サウロの目から何かが落ちて、急に目が見えるようになったのです。

その目から落ちたものは、まるで魚のうろこのようなものだったのです。

そのことから、急に視界が開けるように理解できるようになったことを目からうろこが落ちるように・・と言われるようになったのです。

きっかけは、本当に目が見えるようになったからなのですが、実際には魚のうろこではなく、うろこのようなものだったのですね。

新約聖書の中にあることが由来なので、目からうろこが落ちるというのは、日本で生まれたことわざではないのですね。

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目からうろこが落ちるの多用に注意

目からうろこが落ちるということわざの意味から見る限り、今まで納得できなかったことや理解できなかったこと、腑に落ちなかったことが何かのきっかけで急にわかるようになったことを表しています。

ですが、使いやすいのか日常的に使い過ぎているような気がします。

例えば、雑学的な知識を誰かに教えてもらった時に、「そうなんだ!知らなかった~!目からウロコ!」なんて使ってしまうことありませんか?

私は使ってました、こんな感じで・・。

でも、今まで理解できなかったことを知ったわけでもないのに、大げさなリアクションになってしまいます。

意味をよく考えて、使う場面を考えてみようと思います。

「目からうろこが落ちる」の類語

「目からうろこが落ちる」という表現と同じような意味の言葉は他にもあります。

語源が想像しやすいのが「膝を打つ」です。

「膝を叩く」も同じです。

「膝を打つ」とは、何かのきっかけで納得したり、理解できた時に思わず自分んも膝を叩く動作をすることが由来となっています。

自分の膝を叩くことはなくても、手を叩いたりするなど、何かのきっかけで物事が理解できたりすると、大きく動作したくなるものです。

「理由を説明されて、思わず膝を打った」などのように使います。

まとめ

ぼんやりとしか意味が分からないまま使っている言葉がいかに多いのか、調べてみるとよくわかります。

そんな時こそ、目からうろこが落ちるという言葉を使うのでしょうね。