「うぐいす鳴かせたこともある」という言葉には、どんな意味があると思いますか?
うぐいすという鳥は、「ホーホケキョ」という鳴き声を出す鳥として知られています。
日本各地に生息している野鳥ですし、昔から和歌などにもよく使われいたようです。
都会から少し離れた山里に行けば、野生のうぐいすの鳴き声を聞くこともできます。
日本人には昔からなじみの深いうぐいすですから、色んな歌や川柳、ことわざなどにも使われてきました。
「うぐいす鳴かせたこともある」もその1つです。
この言葉にはどんな意味があるのか、解説しましょう。
「うぐいす鳴かせたこともある」とは
「うぐいす鳴かせたこともある」は、ある言葉の後半だけを切り取っています。
「梅干し婆はしなびておれど、うぐいす鳴かせたこともある」というのが本来の言葉でした。
前半を見れば何となく意味もわかってきますよね。
「うぐいす鳴かせたこともある」とは、高齢になった女性が、昔は男性からモテていたことを自慢するという意味なのです。
若い頃は美しくて、周りにいる男性から言い寄られたという自慢話をしたがるお年寄りの女性がいますよね。
でも「昔はすごくモテていて、男の人からチヤホヤされていたんだよ」というよりも、「うぐいす鳴かせたこともある」という方が、情緒のある表現に感じますよね。
正しい使い方としては、年齢を重ねた女性が自分の若かりし頃を自慢する時に使います。
周りから言うべき言葉ではないですね。
うぐいすが表す意味とは
「うぐいす鳴かせたこともある」という言葉の意味が理解できたとしても、なぜ「男性にモテていた」ことが「うぐいすを鳴かせる」ことなのか、そこが疑問です。
そもそも、若い男性のことをうぐいすと呼ぶのはなぜなのでしょう。
年下の若い男性と付き合っていると「若いツバメがいる」なんて言われることはありますよね。
それはよく聞きますが、うぐいすに例えられるのはなぜなのでしょうか。
意味を調べてみると、うぐいすとセットで描かれることの多い「梅の木」との関係が由来であることがわかります。
うぐいすが好んでとまる梅の木を、若くて美しい女性に見立てているのです。
つまり、若くて美しい女性を梅の木に例えることで、その梅に寄ってくるうぐいすを男性に例えたわけです。
「梅干し婆はしなびておれど、うぐいす鳴かせたこともある」という言葉は、若い頃の話を梅干しのように萎びた老女が自慢するという意味に重なるのです。
梅とうぐいすは、日本画によく描かれる絵柄ですから、人々にわかりやすく伝える一説に例えられたのでしょう。
うぐいすの地名の由来
うぐいすという鳥の鳴き声は、野鳥の中でもかなり特徴があります。
その鳴き声のおかげで、多くの人たちに愛されているのでしょう。
地名にもうぐいすが使われているところが沢山あるのですが、有名なところでは東京都台東区の鶯谷(うぐいすだに)です。
台東区には鶯谷という地名は残っていないのですが、駅名として残っているため、鶯谷は地名と思っている人が多いのではないでしょうか。
台東区の鶯谷が地名とされた由来は、徳川幕府の時代にまでさかのぼります。
台東区には徳川幕府の安泰を目的として、江戸の鬼門とされる方角に建てられた寛永寺があります。
寛永寺の住職は、京の都から天皇に関係する皇族がきて就任することになっていたようです。
元禄時代に寛永寺の住職になった人物が、わざわざ京の都から鶯を運ばせて寛永寺の周りに放したので、そのあたりには鶯が多くなったようです。
それが鶯谷と呼ばれるようになった理由だと伝わっています。
しかし、なぜわざわざ鶯を京の都から連れてきたのか不思議ですよね。
その理由として伝わっているのは、寛永寺の住職になった人が「江戸の鶯は訛っている」と言ったからなんだとか。
今でこそ、東京は日本の首都になり、名実ともに日本で一番の都市です。
江戸時代も人口は多く、とてもにぎやかなだったのでしょうが、やはり京都の人たちには「都」のプライドがあったのです。
江戸を田舎として見下していたので、「訛っている」と言ったのでしょう。
ホントに訛っていたのかは定かではありません。
東日本の鶯と西日本の鶯の鳴き声に違いがあるのか、確かめてみたわけじゃないでしょうが、比べてみたくなりますね。
まとめ
「うぐいす鳴かせたこともある」という言葉が、まさか若い頃に男性にモテていたことを自慢する意味だったとは、驚いてしまいました。
そういう表現がサラッと言えるのは、とても素敵なことだと感心してしまいました。