「豆を煮るにまめがらを燃く」という言葉は、古く中国から伝わった言葉と言われています。
聞いたことがあるでしょうか?
私は聞いたことはないわ
パパは知ってる?
聞いたことはあるけど、
どんな意味なのかは・・・
ママもパパも知らないんだ
あまり使われないので、聞いたことがないのも無理はないでしょう。
いったいどんな意味なのか、どんな場面で使うのか、またその由来は何なのか見ていきましょう。
「豆を煮るにまめがらを燃く」とは
「豆を煮るにまめがらを燃く」とは
兄弟や仲間同士が互いに傷つけあって争うことのたとえ。
豆を煮るのに同じ根から生じた豆がらを燃料として使うということから。
新明解故事ことわざ辞典
と書かれています。
豆がらというのは、種子をとった後の豆のさやや茎のことです。
豆がらを使って豆を煮るのは、無駄のない使い方ですよね。
しかしその意味は身内同士の争いという、なんとも嫌な意味なのでした。
「豆を煮るにまめがらを燃く」の由来
「豆を煮るにまめがらを燃く」という言葉の由来は、中国三国時代の故事からだと言われています。
兄から才能を妬まれた、憎まれてしまった弟は、兄から7歩あるく間に詩を作れと命じられます。
それができなければ命をとると言われたのです。
弟はすぐに詩を作ります。
その詩のなかに、豆がらは釜の下で燃やされ、豆は釜の中でひどく煮立てられている。
どうして同じ根から生まれたのに、豆がらはこんなにひどく豆を煮るのか・・という嘆きがあったのです。
その詩を読み、兄は自分を深く恥じたという。
これが「豆を煮るにまめがらを燃く」の由来だと伝えられています。
兄弟姉妹は妬み合うもの
この「豆を煮るにまめがらを燃く」という言葉は、中国三国時代のエピソードが由来と言われていますから、兄弟であっても争いがあったのでしょう。
日本でも戦国時代には兄弟で跡目争いが絶えなかったとも言われていますよね。
そういう時代だからこそなのかも知れませんが、じつは普通の家庭の兄弟姉妹でも妬みや僻みはあります。
他人同士よりも、じつは妬みや僻みは多いのかも知れません。
それは同じ親から生まれて、同じように育ったからこそ、妬みや僻みが生まれるとも考えられるのです。
親の愛情の奪い合いが兄弟姉妹同士の妬みとなり、それが争いのタネになるのでしょうね。
つまり、同じ根から生まれるからこそ、妬みから恨みになってしまうことも考えられなくはありません。
「豆を煮るにまめがらを燃く」という言葉は、仲間同士で争うときにも使いますが、やはり兄弟姉妹の争いに使う方がしっくりするのではないでしょうか。
まとめ
「豆を煮るにまめがらを燃く」という故事から生まれた言葉は、兄弟や仲間同士との争いごとをあらわすときに使います。
兄弟同士の争いを豆の煮炊きにかけるなんて、なるほど・・と感心してしまいます。
ストレートに伝えるよりも、効き目があるのではないでしょうか。