「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」という言葉の意味を知っていますか?
鳩(はと)も烏(からす)も身近にいる鳥ですが、よほど興味を持って観察しない限りは、鳩や烏の生態を詳しく知ることはありません。
いったい鳩と烏の「礼」とか「孝」にはどんな意味があるのでしょう。
また、鳩という鳥はことわざや慣用句によく使われることでもおなじみです。
今回は「鳩に三枝の礼、烏に反哺の孝あり」の意味と鳩が使われる言葉について解説しましょう。
「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」とは
「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」とは、人に礼儀と孝行の大切さを教えるための言葉です。
鳩は育ててもらった親への礼儀として、親鳥がとまっている枝よりも三枝下の枝にとまる。
烏は親鳥から食べ物を口に運んでもらった恩を返すために、年老いた親鳥の口に食べ物を運んであげる。
ほんとうに鳩や烏がこのようなことをするのかはわかりません。
観察して確かめることも無理でしょう。
つまり、人間として礼儀や孝行の気持ちを忘れてはいけないということを教えるために「鳩や烏ですら・・」という意味で用いられたのではないでしょうか。
鳩や烏は今でも人間の暮らす場所にとても近いところで生息しています。
そういう身近な鳥を使えば、伝えやすいと考えられたのではないでしょうか。
鳩が使われた言葉
「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」のように、鳩が使われた慣用句やことわざなどは他にもあります。
どのような意味なのかご紹介しましょう。
鳩が豆鉄砲を食ったよう
「鳩がマメを食ったよう」とは、思いがけないことが起きて驚く様子を表す言葉としておなじみですね。
驚いた時の反応として、大声を上げたり、飛び上がったりするのではなく、目を丸くして、きょとんとした表情のまま固まってしまうことがあります。
そういう様子を「鳩が豆鉄砲を食ったよう」というのです。
これも鳩の実態とは違うのかも知れませんが、驚くと鳩は動かなくなるのかも知れません。
鳩にとっては、豆は食べ物なので、嬉しさと驚きが入り混じってしまうと、きょとんとしてしまうでしょうか。
鳩の豆使い
「鳩の豆使い」とは、道草をしてなかなか帰ってこないことを表す言葉です。
伝書鳩といって、鳩の習性を利用して文書を運ばせることがあります。
今ではほとんどいないのかも知れませんが、電話や電報が普及するまでは、活躍していたようですね。
しかし、どれほど訓練された鳩でも、大好物の豆には勝てないので、豆を見ると道草をしてしまうという意味なのです。
鳩にとっては、人間に頼まれた用件よりも、大好物の豆の方が魅力的ですからね。
同じ意味の言葉に「豆見て落ち入る鳩」もあります。
使いを頼んでも、途中で誘惑されて道草をする人に「鳩の豆使い」というのですね。
鳩を憎み豆を作らぬ
「鳩を恨み豆を作らぬ」とは、小さなことにこだわってしまうと、結果的に大きな損失を生むことになるという意味です。
この言葉が生まれる背景は以下の通りです。
畑に豆をまいて作物を育てようとしたのに、その豆を鳩が食べてしまいます。
せっかくまいた豆を食べられたことに腹を立てて、鳩に食べられないように豆をまくことをやめてしまいます。
その結果、何も収穫できなくなり、自分が困ることになるのです。
鳩がわずかな豆を食べただけでも憎しみが勝ってしまうと、大きな損失のことを想像できなくなってしまうのでしょう。
小さなことにこだわり過ぎて、自分を苦しめるような結果にならないための教えの意味が込められているのです。
鳩と同じく日本人に馴染みのあるうぐいすを使った言葉についてもチェックしてみませんか。
まとめ
「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」は「三枝の礼」や「反哺の孝」としてそれぞれ分けて使われることもあるようです。
親を敬う気持ちや、育ててもらった感謝の気持ちを忘れないためには、ぜひ胸に残しておきたい言葉だと思いました。