【修行】と【修業】は意味が違うの?正しい使い分け方とは!!

ことばの意味

全く同じ読み方をする「修行」と「修行」の2つの言葉ですが、その違いについて改めて考えてみると、今まで間違って使っていたことに気が付きます。

深く考えて修行と修行を使い分けていなかったので、きっと間違って使っていたのでしょう。

でも、違う文字を使うからには、意味も違うのでしょうから、きちんと正しい意味の違いを調べてみました。

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修行とは

修行というのは仏教から生まれたもので、仏教徒や僧侶が悟りを開くために行うことです。

仏教は、悟りを開くこと、悟りの境地にたどり着くために修行を付き重ねることを大切にしています。

例えば、お寺で生活しているお坊さんたちは、朝早くから境内を掃除して、お経を読みます。

これを毎日続けることも修行です。

仏教には様々な宗派がありますから、その宗派によって修行の内容は違います。

厳しい修行には、それだけの意味があります。

例えば有名なところでは天台宗の千日回峰行です。

千日回峰行は、1000日間で行うわけではなく、7年にかけて行う修行です。

1日30キロの山道をたった一人で歩きます。
真夜中の山道をたった一人で歩くこともあるそうです。
その間には断水、不眠、不臥のお堂入りの行が9日間あります。

奈良県の大峯山で千日回峰行をすると、毎日48キロを歩くそうですから、厳しい修行です。

途中で修行から逃げたくなった場合は、自ら命を絶つ覚悟を持たないといけない厳しい修行なので、いつでも切腹できるように短刀を身に着けて修行するというほどの厳しさです。

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修業とは

修業とは、学業や職業などに使う言葉です。

学業では、より高い学力、知力を身に着けるために勉強に励むことが修業です。

職業としての修業になると、どんな職業でも修業は必要です。
ですが、修業の意味としては、より高い技術を身に着けるために励むことです。

例えば私は落語が好きなので、落語の世界を例にします。

落語の世界では、前座見習い、前座、二つ目、真打という階級があります。

前座見習いはお客様の前で話す機会はなく、師匠の身の周りの世話をしながら落語や落語に必要な長唄や所作などを習います。

前座になると、寄席や落語会でお客様の前で落語を披露する機会もありますが、演目は前座噺と言われるもので、話す技術を磨くための演目が多いです。

前座噺で有名なのが「寿限無」です。
子供の名前を付けてもらうためにお寺のお坊さんにお願いにいくと、色んな候補をあげてくれます。

縁起の良い名前の候補を全てくっ付けてしまえ!ということで「寿限無寿限無・・・」と続くわけです。

しゃべる技術を上げるためには打ってつけの演目です。

落語の世界では、真打になると弟子を取ることができるようになるので、真打になって初めて人に教えられる立場になるので、それまでは修業に励むことになるわけです。

他にも、大工や料理人などの職人の世界では、修業中の身は師匠や親方に従って技術を向上させるために修業に励むわけです。

ですが、落語家も料理人も大工もそうですが、どんなにスゴイ技術を持つようになっても、ずっと修業する気持ちを忘れない人こそ、本物ではないでしょうか。

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まとめ

修行と修行の違いを調べてみると、使い分け方ははっきりしていることがわかりました。

仏教の悟りを開くために行うことが修行。
学業や職業などで励むことは修業です。

これから間違えないように気をつけたいと思います。