自分で自分を褒めたたえる意味として使われるのが自画自賛です。
「我ながらよくできたと思う」と自分自身で褒めている様子を表しています。
でも、なぜ自画自賛なのか?と疑問を持った方もいるのではないでしょうか。
自分自身を褒めることなので、自画ではなく自我ではないのか・・。
実際に、自画自賛を自我自賛と間違えておぼえている人もいるようです。
そこで、なぜ自画自賛なのか、その理由を解説しましょう。
自画自賛の意味と語源
自画自賛とは、
自分で自分のことを褒めることです。
なぜ自我ではなく自画なのかと言えば、この言葉の語源がわかれば理解できます。
自画自賛とは、もともと自分で書いた画に、自分自身の手で賛を入れることが由来になっています。
賛というのは、絵画に詩や文章を書きこむことです。
西洋の絵画では、詩や文章を書きこむ文化は見られませんが、東洋の絵画には、詩や文章を入れることがありました。
そして、賛と呼ばれる詩や文章は、他人に入れてもらうのが通例だったのです。
しかし、中には自分で書いた絵画に自分で賛を書き込む人もいました。
これが自画自賛の語源になったのです。
一般的に賛は、その絵画作品が素晴らしいものだと褒めたたえる意味合いがあったので、自分で賛を入れるのは、自分の作品を自分が褒めていると思われたのでしょう。
そこから、自分で自分を褒めることを自画自賛というようになったわけです。
自我自賛と間違えていた方も、語源を思い出せば自画自賛が正しいとわかりますよね。
自画自賛と似た言葉
自画自賛には、自分のことを褒めるという意味がありますが、似た意味の言葉は他にもあります。
自画自賛に類義している言葉をいくつか集めてみました。
一分自慢
一分自慢とは、自分一人で自慢することです。
ひとり自慢するという意味の言葉です。
手前味噌
味噌は手作りするのが当たり前だった時代に生まれた言葉です。
自分で作った味噌が美味しいと自慢することが、手前味噌の語源です。
自分のことを自慢するという意味として、手前味噌と言われるようになったのです。
自画自賛よりも、自分で自慢したい時に「手前味噌ですが」と前置きするために使われます。
高慢
高慢とは、自分の容貌、または才能などが他の人よりも優れていると思っている様子です。
調子に乗っている、自惚れている、天狗になっているなどは、高慢な様子を表す言葉です。
このような態度の人を批判する時に「高慢ちき」といいますね。
唯我独尊
唯我独尊とは、自分一人だけが偉く尊い人間だと自惚れることです。
自分だけが偉いなんて、なかなか言えることじゃありませんが、周りを見下すような態度をとってしまう人を表す言葉です。
唯我独尊と比べれば、自画自賛が可愛く感じてしまいます。
まとめ
自分で自分を褒めることなのに、なぜ自我自賛ではなく自画自賛なのか、語源を知ればよくわかりますね。
自分で自分を褒めることは、悪い事ではないと思いますが、自慢話はほどほどにしないと、周囲は引いてしまうので気を付けましょう。