【下駄を預ける】とはどんな意味?誤用されやすいので気をつけよう!

ことばの意味

「下駄を預ける」という言葉を聞いて、どんな意味なのかわかりますか?

下駄は履き物なので、脱いだ靴などを預かってもらうことですが、そのままの意味ではありません。

慣用句としての意味を理解している人はどのくらいいるのでしょうね。

もしかしたら、正しい意味ではなく、誤用している可能性もあるかも知れません。

「下駄を預ける」という言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか。

自信をもって「もちろん理解しています」と胸を張れる人は必要ないことでしょうが、自信のない人はチェックしてみましょう。

「下駄を預ける」の正しい使い方や語源について解説します。

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「下駄を預ける」の意味とは

「下駄を預ける」という言葉の意味を、その家に滞在することだと思っている人もいます。

それは言葉そのままなので、間違いとは言えません。

今でも靴を脱いで上がる旅館などでは、履き物を脱ぎます。

その時に下駄箱に預けることもあるので、言葉通りの意味では間違ってはいないのです。

ただし、この言葉が生まれたのは江戸時代だと言われています。

江戸時代に旅する人は、下駄や草履ではなく、藁で編んだわらじを履いていたので、当時の宿場の旅館では履き物を預ける習慣はなかったようです。

それはさておき、「下駄を預ける」にはもっと深い意味があります。

物事の処理を相手に一任する。

という意味があるのです。

下駄を預けてしまえば、そこから動くことはできなくなります。

つまり、自分はもう動かないので、「何もかも一切お任せしますよ。」という時に使う慣用句なのです。

「話し合っても結論が出ないので、私は下駄を預けることにしますから、あとはお願いします。」のような使い方をするのです。

相手に全てを一任する意思を伝えるためには、自分が自由に動けないことを表す必要があるので、「下駄を預ける」という言葉が使われるのでしょう。

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「下駄を預ける」の語源は

「下駄を預ける」という言葉がいつから使われるようになったのか知るためには、下足番という仕事が存在した時代にさかのぼります。

下足番とは、お客が脱いだ履き物を番する人のことです。

今でも京都のお茶屋さんや、高級料亭にはいるのかも知れませんが、下足番専門という人はいないのではないでしょうか。(調べてもわかりませんでした)

現代では、履き物を脱いで上がる飲食店などの入口に、鍵付きの下駄箱などがありますよね。

人の履き物を勝手に履いて帰るような人はいないと思いますが、そんなことが起こらないためにも鍵付き下駄箱は安心できます。

下足番は、まさにそれを役目とする職業です。

お店に入る時には、下足番に履き物を預け、帰る時には下足番に履き物を出してもらいます。

下足番が履き物を出してくれなければ、そこから身動きできません。

「下駄を預ける」という言葉の語源が、下足番だったのかは定かではありませんが、そういう職業が存在した時代だからこそ言葉の意味が伝わったのではないでしょうか。

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下足番という職業

下足番は今の時代では見かけることのない職業ですが、どんな職業にもその道の一流がいます。

例えばお客の履き物を見て、その人の健康状態がわかってしまう下足番もいたとか。

長年の経験で履き物の減り方などでわかるのでしょう。

そういう下足番のいる店は繁盛しますよね。

人の履き物を預かる仕事は、職業のランクとしては下なので、好んでその仕事に就く人はほとんどいないでしょう。

ですが、こういう言葉を残した人がいます。

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そしたら誰も君を下足番にしておかぬ。」

これは、阪急電車、阪急百貨店、宝塚歌劇団、東宝などの阪急・東宝グループの創業者である小林一三さんの言葉です。
どんなに底辺の仕事でも、その仕事でトップになれば、誰かが必ず見出してくれるという名言です。

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下駄に関わる言葉

「下駄を預ける」という言葉の外にも、下駄を使った慣用句やことわざがあります。

下駄も阿弥陀の同じ木の切れ

下駄は木の板に穴を開けて鼻緒をつけて、板の裏に歯をつけた履き物です。

このような下駄に使われる木でも、阿弥陀様のような仏像を作ることもできます。

「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」とは、もとは同じものでも、最後には大きな差が出ることを表す言葉です。

木材をたとえにしていますが、人間に当てはめて使われることもあります。

スタートラインは同じでも、努力次第で差が出ることを表す時に使えます。

また、どんなに身分の差があっても、同じ人間として生まれたからには、大切な存在であるという意味でも使われます。

下駄を履く

「下駄を履く」とは、物事が終わることを表しています。

何か用事を済ませて、その場所から帰る時に下駄を履く様子から、物事の終わりを意味する慣用句になったのです。

「下駄を履くまで油断はできない」とか「下駄を履くまでわからない」など、物事の最終的な段階を表す言葉として使われます。

まとめ

「下駄を預ける」とは、その場にとどまるという意味ではなく、一切を相手に任せることでした。

「下駄をあずけてのんびり過ごそう」のような使い方は間違いなので気を付けましょう。