贔屓(ひいき)は依怙贔屓(えこひいき)の略語ではない!違いとは!

ことばの意味

「あの先生ってさ、○○さんだけ贔屓(ひいき)してるよね」と「あの先生は○○さんに依怙贔屓(えこひいき)してるよね」とでは、違う意味だと思いますか?

ほとんどの人が「贔屓する」と「依怙贔屓」するは同じ意味として使っているのではないでしょうか。

なかには、「贔屓」は「依怙贔屓」から「依怙」を省略した言葉だと思っている人もいるようです。

しかし、「贔屓」と「依怙贔屓」を同じ意味として使うと、間違っている場合もあるのです。

今回は「贔屓」と「依怙贔屓」について解説します。

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「贔屓」は「依怙贔屓」の略語ではない

贔屓と依怙贔屓の違いをはっきり答えられる人は、かなり少ない割合だと思われます。

同じ意味として認識されているので、今さら違いを知っても意味がないのでは・・なんて思うかも知れません。

ですが、明らかに意味が違うのです。

「贔屓」の意味とは

「贔屓」とは、自分が気に入っている人物やお店などに特別に力を入れて応援したり、便宜をはかることです。

例えば大相撲の力士、歌舞伎役者、落語家などには応援してくれる後援会があります。

そういう後援会に入っている人たちのことを「ご贔屓さん」と呼んだりします。

ファンと同じような意味でもありますが、もっと力を入れて応援するイメージです。

お店をよく利用してくれる常連のお客さんにも、同じです。

応援する側も「私が贔屓にしているお店がある」などと、自分が気に入っているという意味で使います。

つまり、贔屓という言葉だけの意味で考えると、悪い意味の表現ではないのです。

「依怙贔屓」の意味とは

「依怙贔屓」とは「依怙」と「贔屓」を合わせた言葉です。

「依怙」だけの意味は、自分が気に入った人などに対して、公平ではなく優遇することです。

「贔屓」だけでは自分のお気に入りに力添えしたり応援することですが、「依怙贔屓」になると公平ではなく優遇したり、特別に味方する意味になるのです。

つまり「他の人より実績上げてないのに、○○さんだけ贔屓されているよね」などと、不公平だという不満を表す時に使うのは、贔屓ではなく依怙贔屓を使うのが正しいのです。

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「贔屓」に関連することば

「贔屓」という言葉がネガティブなイメージになってしまったのは、「依怙贔屓」とごっちゃになってしまったからでしょうね。

公平な立場で評価しなければいけない立場の人が、自分の好みを強く反映させてしまうと、不公平さが見えるので「依怙贔屓している」と言われるわけです。

「贔屓」という言葉が使われた表現に「判官贔屓」があります。

「判官贔屓」は、悲運の末に兄に葬られた源義経に対して、多くの民が同情したことが由来になっています。

源義経は、兄である源頼朝のために平家と戦って戦果をあげた人物です。

にもかかわらず、兄から命を狙われて、壮絶な最期でした。

圧倒的な勢力を持つ者と、助ける人も少なくて立場の弱い人が戦うと、人は弱い者へ同情して肩入れしたくなります。

義経は「九郎判官」という別名で呼ばれることがあったため、義経に同情して肩入れすることを「判官贔屓」と言うようになったのです。

例えば高校野球大会で、全国から有望な選手が集まる私立の強豪校と公立の高校が対戦する時などには、恵まれない環境でも頑張って甲子園出場の夢を叶えた公立の高校を応援したくなる人が沢山います。

そういう気持ちが判官贔屓なのでしょう。

ご贔屓さんとお得意さま

お店をよく利用してくれるお客様のことを「ご贔屓さん」と呼ぶこともありますが、「お得意さま」という呼び方もありますね。

同じ意味なのですが、「私が贔屓にしている店」の代わりに「私が得意にしている店」という表現はしません。

「うちの店のご贔屓さん」の代わりに「うちの店のお得意さま」は使いますね。

この点が同じ意味でも違うところです。

また、「お得意さま」は「得意先」が変化した言葉です。

得意先とは、頻繁に取引する相手のことなので、商売やビジネスの場面で使われる言葉です。

一般的には取引先ですが、取引の頻度が高い相手には得意先という表現で、繋がりの強さを表しているのです。

まとめ

「贔屓」と「依怙贔屓」の違いについてまとめました。

子供の頃に、学校の先生に対して「先生!贔屓してる~」なんて言ったことありませんか?

もしも不公平だと感じていたのなら、そこは「依怙贔屓」を使うべきだったのですね。