昼食と夕食の間に食べるものを「おやつ」と言いますよね。
3時のおやつは、労働者の休憩時間でもあるので、休憩しながらお茶やお菓子を食べる職場もあります。
当たり前に使っている「間食」=「おやつ」ですが、そもそもおやつとは何なのでしょう。
おやつの語源や発祥について解説します。
おやつの語源
おやつという単語は、日本人に広く浸透していますが、そもそも間食のことをおやつと言うようになったのはいつからだと思いますか?
色んな説がありますが、現在のように午後に食べるお菓子としておやつが庶民に広まったのは江戸時代だと言われています。
江戸時代の初期は、庶民の食生活は朝食と夕食だけの1日2色でした。
朝食と夕食の間が長いので、間に軽く食べたことがおやつ習慣の始まりだと言われています。
お菓子の発祥は京都ですが、お菓子を食べるおやつ文化が庶民に広まったのは江戸の街だったようです。
なぜ午後に食べるお菓子のことをおやつと呼んだのか。
それは時間が関係しています。
午後2時から4時は「八つ」だったので、そのくらいの時間に食べる間食なのでおやつと呼ばれるようになったようです。
また、京都の本願寺では、八つ時になると太鼓を鳴らしていたので、その時間になると人々が仕事の手を止めて一休みしたので、それが午後の間食のおやつの由来になったという説もあります。
どちらの説も、午後3時前後の時間が関係しているので、おやつの語源が「八つ」からだったと考えていいでしょう。
おやつに食べるお菓子の発祥
江戸時代に庶民に定着したおやつ文化ですが、砂糖が貴重品だったので、甘いお菓子をおやつとして食べられる身分の人ばかりではなかったようです。
日本にお菓子の技法が伝わったのは奈良時代、平安時代なので、かなり古くからお菓子はあったのでしょうが、高貴な方たちの口にしか入らなかったのでしょう。
鎌倉時代以降は、砂糖が輸入されるようになり、その頃から盛んになった茶の湯との相乗効果で和菓子の技術が急激に向上します。
安土桃山時代を象徴する戦国武将の織田信長は、ポルトガルから渡ってきた宣教師からカステラや金平糖を献上されて食べていたというのは有名な話です。
その頃からお菓子文化は公家や大名の間で発展していったと考えられます。
江戸時代になり、やっと庶民にもお菓子が広まったのですが、やはりお砂糖を使ったお菓子は贅沢なものだったのでしょうね。
おやつの定義
おやつの語源が午後2時~4時の間の「八つ」だったとすれば、3時のおやつ以外に食べる間食はおやつとは呼ばなかったはずです。
ですが、食事のスタイルも多様化しているので、今では朝食と昼食と夕食以外に食べる間食のことを全ておやつと呼ぶようになりました。
時間に縛られず、自由な食生活を選べる時代になったのですね。
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まとめ
食事と食事の間が長すぎると、空腹状態になるだけじゃなく、血糖値が下がります。
そこにお米中心の食事を摂れば、血糖値が急上昇するので肥満の原因になると言われています。
おやつ文化は健康のためにも良いことなので、これからもずっと残って欲しいと思います。