孫の手とは、手の届かないところがかゆくなった時に使う道具です。
関節がやわらかい人や、肩甲骨の可動域が広くて背中に手が届きやすい人には必要ないのかも知れません。
ですが、かゆくてたまらない時には、ギリギリ届く程度では思うように掻けませんよね。
そんな時に孫の手があれば助かります。
若い人は孫の手はあまり使わないのかも知れませんが、年齢を重ねると肩が思うように動かなくなるので、一家に一本は孫の手は置いておきたいものなのです。
さて、やはり年配の人ほど使う機会の多い孫の手なので、語源はやはり「孫」ではないかと思いますよね。
じつは孫の手の名称の由来に「孫」の存在は無関係だったという説があるのです。
ホントに孫は無関係なのか、語源を調べてみました。
「孫の手」の語源とは
「孫の手」の名称の語源は、中国の古い書物の中に描かれている「麻姑」という仙女が由来だと言われています。
中国の古い書に出てくる伝説の仙女は、まるで鳥の爪のような先の細い爪を長くのばしていました。
その爪でかゆいところを掻いてもらうと、とても気持ち良かったので、手の届かないところを掻くための道具に仙女の名前にちなんで「麻姑」とか「麻姑の手」と呼んだのが由来だと伝わっているのです。
それがなぜ「孫の手」に変わっていったのかははっきりわかっていません。
「孫の手」と呼ばれるようになった理由は、2つの説があります。
麻姑(まこ)と孫(まご)から
背中の届かないところを掻くための道具を「麻姑」とか「麻姑の手」と呼んでいたが、音がよく似ていることから、「孫の手」になったと伝わっています。
孫の小さな手から
背中がかゆいけれど手が届かなくて困っている祖父母にとって、孫が小さな手で掻いてくれるのはこの上ない幸せでしょう。
道具を使うよりも数倍も気持ち良くて幸せだと思います。
背中を掻くための道具が小さな手の形状になっていることと、孫の小さな手で背中を掻いてもらう気持ち良さを重ねて「孫の手」になったという説もあります。
「かゆいところに手が届くような」とは
自分の手が届かないところを掻くために使うのが「孫の手」です。
では「かゆい所に手が届く」という言葉はどういう意味で使うのが正しいでしょうか。
「かゆい所に手が届く」とは、
細かいところまで心配りのできること。
人が気が付かないところまで気を使い、行き届いていること。
手落ちのないこと。
このような意味があります。
「かゆい所に手が届く」は、自分自身のことに手落ちなくできることではなく、周囲の人たちへの気配りに対する褒め言葉として使われます。
「○○さんが作る資料は見やすくて、誰が見てもわかりやすいのよ。」
「細かい所もわかりやすくまとめてあるわ。かゆい所に手が届く人なのね。」
このような使い方をします。
孫の手のように、ほんとにかゆい所を掻く道具とは関係ないのですが、手が届かないところがかゆくなるのはツラいので、掻いてくれる人はありがたく感じるでしょう。
それが気配りのできる人を表す言葉になったわけです。
孫の手はいつから存在しているのか
現在のような形状の孫の手がいつから存在しているのか、それははっきりわかっていません。
人間は自分の身体のどこにでも手が届くはずなのですが、関節や筋肉の衰えや病気が原因で思うように手が使えなくなることもあったため、昔から背中を掻く道具は存在したと思われます。
ただの棒状のものを使ったりしながら、手の形をモチーフにした形状に変化していったものと考えられます。
「孫の手」の語源になった仙女「麻姑」は中国の古い書物に登場するため、日本に中国の学問や文化が伝わってきた頃から、現在のような形状になるルーツがあると思われます。
孫の手は海外にもあるのか
「孫の手」と呼ばれる道具は日本にしかないのですが、同じような目的で使われる道具は世界中に存在します。
ヘラのような平たい棒や、ボディブラシのようなもの、動物の手足の形をモチーフにしたものなど。
また、かための肌触りのタオルを使って背中をゴシゴシと擦ることでかゆみを解消する方法など、世界各国で色んな方法と道具が使われているようです。
ただ、日本の孫の手は海外の人たちのお土産に人気があるので、使いやすいものなのではないでしょうか。
そういうアイデアグッズを工夫するのが得意な人は、たしかに日本人は多いのかも知れませんね。
まとめ
「孫の手」の名称の由来が孫ではなかったなんて!
驚いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
まったく無関係とは言えませんが、仙女「麻姑」の伝説が由来になったという説が有力です。
背中がかゆくなった時には、孫の手の由来を思い出しながらかゆみから解放されてくださいね。