【無茶苦茶】と【滅茶苦茶】と【目茶苦茶】はすべて同じ意味?

ことばの意味

「無茶苦茶なこと言われた」
「滅茶苦茶にされた」
「目茶苦茶焦ったわ」

この3つの言葉の意味は同じなのか、それとも違う意味があるのか疑問に思ったことはありますか?

そもそも、今まで3通りもあるなんて、気が付かなかった人もいますよね。

とくに意味の違いなんて考えたことがない人が多いのではないでしょうか。

「無茶苦茶」は「むちゃくちゃ」と読みます。
「滅茶苦茶」と「目茶苦茶」はどちらも「めちゃくちゃ」と読みます。

同じ意味なのか、それとも正しい使い分け方があるのか調べてみました。

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「無茶苦茶」とは

「無茶苦茶」とは、

言動が常識から外れていること。
まともだとは考えられないこと。

このような様子を表す時に使う言葉です。

「無茶」だけで通じる言葉ですが、「苦茶」とつけることでより強調されます。

「無茶苦茶」の語源は、来客が来てもお茶も出さないことや、お客に苦いお茶を出すことからきているという説があります。

しかし、「無茶苦茶」はあくまでも当て字なので「無茶」や「苦茶」は語源の由来ではありません。

「無茶」は仏教の言葉の「無作」がもとになっていると言う説があります。

他にも「無造作」から変化して「無茶」となり、言葉を整えながら「無茶」の意味を強調するために「苦茶」が付いて「無茶苦茶」となったという説もあります。

はっきりとした言葉の起源は不明ですが、変化した結果「無茶苦茶」になったのです。

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「滅茶苦茶」とは

「滅茶苦茶」の意味は「無茶苦茶」と同じです。

「滅茶苦茶」は「無茶苦茶」を言い換えただけで、意味も使い方も同じなのです。

どちらも同じように使われていますから、正しく使い分ける方法はありません。

なぜ「無茶苦茶」を「滅茶苦茶」と書くようになったのか、その理由ははっきりしません。

「無」と「滅」という文字を使った「無生無滅」という四字熟語があります。

しかし、「変わることがない」という意味を持つ「無生無滅」とは、関係ないと思うので、「無茶苦茶」を「滅茶苦茶」というようになった由来はわからないままでした。

「目茶苦茶」とは

「目茶苦茶」の意味は「無茶苦茶」と同じです。

「滅茶苦茶」の1文字を変えただけで、使い方も同じです。

他にも「滅茶滅茶」や「目茶目茶」など、同じ文字を繰り返すこともあります。

「めためた」と言い換えられることもあるため、正しい意味や使い方が定まっているわけではありません。

「滅茶苦茶」「滅茶苦茶」「目茶目茶」「滅茶滅茶」など、色んな表現が増えています。

「めちゃんこ」などと変化させた言葉もあるほどです。
もともとは「無茶苦茶」だけだったのに、これほど変化するのは、感情を表す言葉として使う場面が多いからではないでしょうか。

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「無茶苦茶」の使い方とは

「無茶苦茶」の意味は、常識から外れていたり、節度を越えている場合などに使う言葉でした。

ということは、人を褒めるために使う表現としては正しくなかったはずです。
どちらかといえば、「それは非常識だ」と批判する意味で使う言葉だったのではないでしょうか。

ですが、最近の使い方は褒める時の表現に用いられることが多いように感じます。

「無茶苦茶おいしかった」
「無茶苦茶たのしかった」
「無茶苦茶キレイだよね」

このように、褒め言葉を強調する時にもよく使われています。

「あの人のやり方は常識から外れていて無茶苦茶だ」
「こんな無茶苦茶なことが許されるのか」
「無茶苦茶な要求を受け入れることはできない」

本来であれば、このような表現に使われていたのです。

しかし今では、感動や感心を大げさに表現する時に使うのが当たり前になっているようです。
もうすっかり世の中では定着している使い方なので、感動や感心を伝えるためでも、間違いではなくなっているのでしょう。

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「茶」を使う言葉

「無茶苦茶」や「滅茶苦茶」は、「茶」という文字が使われているのに、飲むお茶が語源の由来とは言われていません。

しかし飲むお茶と関係があるのではないかと伝わる言葉もあります。

それは「茶茶を入れる」です。

「茶茶を入れる」という言葉は、よく使いますよね。

ひやかしたり、口をさはんだりして、話の腰を折ったり邪魔することです。

これは、何かするたびにお茶を飲んで休憩することが由来だという説があります。

つまり、お茶の時間が入ることで、物事がなかなか進まなかったり、中断する様子が「茶茶を入れる」の語源だと言われています。

1つの仕事を終えると、必ずお茶を飲んで休憩するのが習慣になっている私は、妙に納得してしまう由来です。

まとめ

「無茶苦茶」も「滅茶苦茶」も「目茶苦茶」も同じなので、どれを使っても構わないのですね。

深い意味があって使い分けるものじゃないので、難しく考えなくても良かったです。

もともとの意味から考えると、使い方も変わってしまいました。
長い時間の流れには、逆らえないということなのでしょう。