水掛け論とよく聞くけれど由来になったのはどんなこと?

ことばの意味

こんなこといつまで言い合っていても終わらない。
水掛け論だから、いつまで言い合っても同じだから終わりにしないと。

人と議論する時などによく使われるのが水掛け論です。

水掛け論の意味とは何なのでしょう。

その由来になったエピソードなどがあるのでしょうか。

水掛け論について解説します。

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水掛け論とは

水掛け論とは、それぞれが自分にとって都合の良いことだけを主張して譲らない論争のことです。

言い争っているのにもかかわらず、何が原因で争っているのか、争点がかみ合わないことや、主張することに証拠がないので、いつまでも論争に終わりが見えないことを水掛け論と言います。

大人の言い争いでも水掛け論はよくあることですが、子供同士の口喧嘩もお互いに自分の言いたいことだけを言い合っている光景を見かけることがあります。

人間とは自分に都合よく考える生き物なので、水掛け論はどこでも見られることなのでしょう。

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水掛け論の由来とは

水掛け論と聞いて、水を掛け合うから終わらない言い争いというのはピンときません。

海やプールで恋人同士がふざけて水を掛け合ってびしょ濡れになるなんてシーンは、昔のドラマや映画にはよくありました。
でも、それで言い争う光景を想像できません。

水掛け論のもとになったのは、水掛聟(みずかけむこ)という狂言の演目がもとになっているという説があります。

この水掛聟とは、舅と婿が田んぼに引く水のことで言い争うようになっり、口論がエスカレートするにしたがって、お互いに水を掛け合って争っていたところ、舅の娘(婿の妻)が仲裁に入るという狂言がもとになったと言われています。

なぜ田んぼに引く水のことで言い争いになったのかというと、舅と婿の田んぼは隣接していました。
雨が降らず、日照りが続いたので、自分の田んぼにできるだけ多くみずを引こうとして争いになったわけです。

お互いに主張することが自分勝手なので、その争いは解決しません。
水が少なくなれば、田んぼの稲の生育が悪くなり、死活問題ですからね。
どちらも譲り合い、助け合う気持ちがないので、自分だけのことを考えて争いになってしまうのです。

そこから、主張に説得力がなく、自分勝手な都合の主張をし合うことを水掛け論というようになったわけです。

狂言の演目としては、庶民にもわかりやすくて人気があり、水掛聟のことを知っている人が多かったので、水掛け論という言葉が生まれたのではないでしょうか。

一部の限られた人しか知らない話なら、そんな言葉が生まれてもピンとこない人が多いので、今の世の中にまで残る言葉にはならなかったのではないかと思います。

まとめ

水掛け論について調べてみると、どんな言葉にも何かの理由があるものなんだと実感しました。

自分勝手な主張を押し付け合う水掛け論は、できるだけしないように気をつけたいと改めて思いました。