【二足のわらじを履く】ということわざは意外なところから生まれた?

ことわざ・慣用句

二足のわらじを履くというのは、二つの職業を掛け持ちしたり、両立できないことを一人ですることを表すことわざです。

例えば大谷翔平選手は二刀流と呼ばれていますが、両立することは難しいと言われてきたことなので、二足のわらじを履いていると言ってもいいのかも知れませんね。

二足のわらじを履くということわざが生まれた由来がちょっと意外なところからだったので、ご紹介しようと思います。

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二足のわらじを履くの由来

二足のわらじを履くということわざは、江戸時代から使われるようになったと言われています。

江戸時代を舞台にした時代劇に登場する十手を持った人がいますよね。

奉行所に勤めている役人じゃなくて、町人の姿をして十手を持っている人です。
じつは江戸時代になるずっと前から、日本は賭け事に関して厳しい規制がありました。

持統天皇の時代に双六禁止令が出たのが最初の賭博禁止令だと言われています。

ですが、闇に隠れて賭け事をする人たちは今も昔もいるもので、取り締まりしても根絶は難しかったようです。

それに、何だかんだいっても賭け事はありますよね。
競馬や競輪などの公営ギャンブルや、議論もそこそこにカジノ法案も通ってしまいました。

話は逸れましたが、いつの時代も闇に隠れた賭け事の取り締まりは大変だったようです。

江戸時代になると、奉行所だけの取り締まりでは限界があるので、ばくち打ちの親分に十手を預けて取り締まりさせるという荒業を考え出しました。

これが二足のわらじを履くということわざが生まれた由来です。

ばくち打ちに賭博を取り締まらせるという、両立すること自体が矛盾していることです。

それが二足のわらじを履くという表現を使うようになった由来だと言われています。

あの銭形平次も?

十手とは、刃物などを抑えたりすることもできる捕り物の道具です。

色んな形状の十手がありますが、人気時代劇として昭和に大ヒットした銭形平次が持っているようなタイプがポピュラーなものだったようです。

そう言えば、銭形平次には八五郎という子分がいて、「親分」と呼んでいました。

正義の味方のようなヒーローとして描かれていた銭形平次ですが、十手を預かっていたということは、ばくち打ちで任侠の世界にいた人ということになりますよね。

ですが、十手を預かるようになるとその世界にはすぐにうわさが広がるのではないかと思います。

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二足のわらじを履くのは岡引と呼ばれる

二足のわらじを履くということわざの語源になった十手を預かる人のことを岡引と呼ぶことがあります。

他にも手先、小者、御用聞、目明しなどと呼び方は色々あるようです。

岡引のような人は現在もいるそうで、いわゆる情報提供者のことです。

裏の世界のことは、その世界にいる人じゃないと情報が集めにくいのは今も昔も同じなのでしょう。

まとめ

二足のわらじを履くとは、二つのことを一人でやってしまうので、良い意味だと思っていましたが、由来を知るといい意味とは限らないことがわかりました。

相反する二つのことを一人でやることなので、善と悪でも二足のわらじになるのです。