【千人の諾諾は一士の諤諤に如かず】とはどういう意味なの?

ことわざ・慣用句

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)とは、どんな意味があるのでしょう。

とても古い言葉なので、読んだだけで意味を理解するのは難しいかも知れません。

ですが、よく見れば意外とわかりやすいのです。

日常の会話の中にも似たような言葉を使っている人もいます。

おぼえておくと、使える時があるかも知れないので、参考にしてください。

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「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」とは

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」の意味を調べてみると、このように書かれていました。

人の言う通りに従がう千人よりも、勇気を持って直言してくれる一人の方がよいということ

もう少しかみ砕いてみると、諾諾とは人の言葉に逆らうことなく、ただ言われた通りに従がうことという意味です。

諤諤とは正しいと思うことを、率直に正直に主張するという意味です。

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」は、秦の時代に横暴を極めていた政治家に対して、謙虚になるべきだと忠告した人物がいたという史記がもとになっています。

現代の表現に言い換えてみる

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」という言葉の意味を理解すると、今の時代にもよく見聞きするある言葉が浮かんでくるのではないでしょうか。

いわゆる「イエスマン」です。

上の立場の人には一切逆らわず、たとえその人が間違っていたとしても何も言わずに従う人のことをイエスマンと呼びますよね。

「社長の周りにはイエスマンしかいない」
「イエスマンしかいない企業は衰退する」
「イエスマンばかりじゃ成長しない」
「イエスマンに囲まれて調子に乗っている」

などなど、イエスマンは良い意味ではないのです。

イエスマンばかりに囲まれている人は、外の世界が見えなくなります。

心地好い所にずっと浸っているだけなので、厳しさも知りません。

なのになぜイエスマンになってしまうのかと言えば、逆らった人を遠ざけたり、罰したりするからです。

人は誰でも自分がカワイイので、悪い立場に置かれるのは避けたいもの。

正直になって損をするのなら、嘘でも上手くその場所で生き抜く方がラクなので、イエスマンばかりになってしまうのでしょうね。

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」の意味を理解して、厳しいことを率直に言ってくれる人物を大切に考える人が成功するのではないでしょうか。

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「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」の類語

「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」は「雀の千声より鶴の一声」と意味は少し違いますが、通じるところもあります。

「雀の千声より鶴の一声」は、つまらない者が色々なことを言うよりも、優れた者の発する一言の方が価値があるというたとえです。

雀が何でも言う通りに従がうイエスマンというわけではありませんが、ハッキリと主張できる優れた人物の発言を「鶴の一声」と表現することがあります。

その部分では、重なるのではないでしょうか。

まとめ

どんな社会でも上下関係というのは生まれてしまいます。

上の立場になった人は、自分が間違った道に進もうとした時にハッキリと忠告してくれる人が周りにいる方が良いのですよね。

耳が痛いことをズバッと言ってくれる人ほど、大切にしないといけないのでしょう。