芝居は無筆の早学問とはどんな意味のことわざ?どんな場面で使える?

ことわざ・慣用句
ことだま
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芝居は無筆の早学問ってことわざははじめて聞いた。

 

どんな意味なんだろうね。

 

演劇部出身でも知らないわ。

芝居は無筆の早学問ということわざは、演劇が趣味の人でも意味をサッと答える人がほとんどいないほど滅多に使われません。

いったいどんな意味のことわざなのか調べてみました。

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芝居は無筆の早学問の意味とは

芝居は無筆の早学問の意味は、たとえ読み書きのできない人でも、歴史上の出来事を題材にした芝居を見れば、その時代背景のことなどを手っ取り早く学ぶことができるということを表しています。

何かを学ぶということは、読み書きができないと無理だと思われていますが、芝居や講談などには、いわゆるノンフィクションをテーマにしたものが多かったので、読み書きができなくても歴史のことに詳しくなる方法はあったわけです。

本を読んで学ぶよりも、手っ取り早く勉強することもできるよ!ということ伝えるためのことわざです。

無筆の人が多かった時代背景

今は義務教育で小学校、中学校は誰でも通うことができます。

しかしその教育制度が確立される前は、子供を学校に通わせずに農作業などを手伝わせることも少なくありませんでした。

そのため、読み書きのできない識字率の割合も今とは比較にならないほど低かったのです。

そのような時代背景があったからこそ、読み書きのできない人たちにも歴史上の出来事を伝えることができる芝居は大賑わいします。

世界的に見れば今の日本の識字率はほぼ完ぺきに見えるかも知れませんが、戦前はまだ学校に行けない子供も少なくなかったそうです。

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落語の演目にも登場する

読み書きのできない人のことを無筆と言ったそうです。

ですが、とくに珍しいことでもなかったので、明治や大正時代までは代書屋という商売が実際にありました。

代書屋というのは、無筆の人の代わりに書類や手紙を書くことを仕事にしている人のことです。

今でも司法書士という書類を作る職業があります。
ですが代書屋は履歴書やお礼状のようなものから、恋文まで代筆したというので、司法書士とは違うものです。

その代書屋をテーマにした古典落語があります。
演目の題名のそのまま「代書屋」です。

明治時代に新しい作家がどんどん噺を作ったので、古典落語は明治時代を背景にしているものがほとんどです。

代書屋という噺も無筆の人が代書屋に履歴書を書いてもらうために訪れます。

ところが、自分の名前や生年月日すらはきちんと答えられないので、代書屋も困り果ててしまうという滑稽なお話です。

他にも親の無筆、手紙無筆、三人無筆、帳簿無筆など、落語には無筆がよく登場します。

滑稽な話に作りやすいので、登場人物としては最適だったのでしょう。

まとめ

芝居は無筆の早学問は、もともとは無筆の人を題材にしたことわざだったのかも知れません。

ですが今の世の中で無筆の人はほとんどいません。
小さな子供くらいでしょう。

そう考えると、確かに読み書きのできない年齢の子供には、絵本や映像で学ばせる方法があります。

読み書きができなくても勉強する方法はいくらでもあるということを伝える深い意味のあることわざだっのですね。