杓子ってどんなものか知っていますか?
多分、しゃもじのことじゃないかな
ご飯を盛りつけたり、器に料理を盛りつけるものだよね
しゃもじって言った方がわかりやすい
そうです。
いわゆるしゃもじのことです。
杓子は耳かきにならずということわざが伝えようとしている意味をご紹介します。
杓子は耳かきにならずとは
杓子は耳かきにならずとは、杓子と似たようなカタチの耳かきですが、杓子では大きすぎて耳かきとしては使えないという意味です。
当たり前のことですよね。
耳の穴にしゃもじのような大きなものが入るわけありませんから、似たようなカタチをしていても代わりにはなりません。
このことわざが伝えたいことは、大きければ小さいも物の代用にはるわけではないということです。
「大は小を兼ねる」ということわざがありますが、大きければ小さいものの代わりになるとは限らないので、大きければ大きいほど良しとすると失敗することもあるから「気を付けて」という注意を促しているわけです。
杓子は耳かきにならずの使い方とは
杓子は耳かきにならずということわざは、どんな場面で使えるのか、例をあげてみます。
〇〇ちゃんに新しい靴を買ってあげるね
嬉しい~、ありがとう
この靴だとサイズがぴったりだから大きい方が長く使えるね
でもブカブカだよ~、お父さん見て見て、ブカブカ!
おいおい、杓子は耳かきにならずって言うだろ。
このように、どんどん成長する子供に大きすぎるサイズの洋服や靴を買うと、結局はブカブカで役に立ちません。
適した大きさのものを選ばなければ使えないよ!という時にこのことわざが当てはまるわけです。
杓子は耳かきにならずに似たことわざ
同じような意味のことわざはいくつかあります。
「長持枕にならず」は同じ意味です。
長持とは、長方形の衣類などを収納する箱で、棒を通すと持ち運びに便利なものなので、嫁入り道具として、着物を入れて運んできたものです。
昔の枕は木製で長持に似た形をしていますが、同じような形でも長持を枕の代わりには使えません。
同じく長持を使ったことわざに「長持は弁当箱にならぬ」というのもあります。
言うまでもなく、衣類を運ぶような大きさの長持はいくら弁当箱に似ていても弁当箱として使えるわけありません。
まとめ
杓子は耳かきにならずということわざには、一般的によく使われる「大は小を兼ねる」が全てに通用するわけじゃないことを伝える時に使えます。
杓子って何?という世代にはピンとこないかも知れませんね。
言葉が変化してしまうと、意味が通じにくいことわざがどんどん増えていくのでしょう。