「接待の遅くなる」とか「日曜日なのに接待ゴルフだ」など、今の「接待」はビジネスの場面で使う用語のようになっています。
接待はビジネスに欠かせないと考えるのは、日本人特有だという人もいますよね。
それが事実かどうかはわかりませんが、たしかに接待が仕事の一部だと考える人が多いのは間違いないでしょう。
ですが、本来の接待はビジネスのために行うものではなかったのです。
今回は「接待」と「おもてなし」について考えてみました。
接待の本来の意味とは
接待とはどんなことを意味するのか、まずは現代社会での接待について調べてみました。
退屈させたり、気分を悪くさせるような失礼なことをしないように、客をもてなすこと。
これが現代の接待の意味なのです。
ですが、接待の語源を調べると、そもそも仏教に由来していると考えられているようです。
接待と仏教の関係は、今でも各地で見ることができます。
たとえば、比叡山で修行する僧侶は街におりてきます。
家の前でお経を唱える僧侶に門前で湯茶を供える様子は今でも見られます。
茶湯の代わりにお金や食べ物を供えることが多くなっていますが、いわゆるお布施として供えているわけです。
これが接待の始まりだと伝わっているのですね。
今の時代では、限られた場所でしか見られなくなった光景ですが、昔は托鉢という修行をする僧侶が各地で見られました。
托鉢は、生きる上で最低限必要なものをお布施として供えてもらうための修行です。
そういう僧侶に対するお布施が接待という言葉の語源だという説があるのです。
今でも四国八十八か所の霊場を巡る「お遍路」さんたちに、地元の人たちは飲み物や食べ物を出して接待する風習が残っています。
そういう光景が珍しくなっているので、テレビ番組などでも取り上げられるほどです。
現代の「接待」とは
仏教から始まった接待は、見返りを求めない無償の行いとも言われていましたので、今の時代の接待とはずいぶん違うような気がします。
今の時代の接待と言えば、仕事の見返りを期待してするものですから、無償の行いとは真逆です。
ですが、修行している僧侶や四国を巡るお遍路さんに接待するのは、「自分の代わりに修行してもらう」という期待から行うとも聞きます。
それは見返りなのでは?と思ってしまいますよね。
もちろん、見返りとして目で見えるものがあるわけじゃないので、無償の行いで間違いないのですが、気持ちの問題としては、「自分にも良い事があるといいな」という期待を持つのは自然なことなのかも知れませんね。
「接待」と「おもてなし」
接待の意味を調べると、「お客をもてなすこと」となっているので、「接待」と「おもてなし」は同じ意味と考えても良いわけです。
ところが、「接待」というワードがひとり歩きをはじめてしまい、「おもてなし」という言葉から離れてしまった印象です。
一生懸命に接待している姿は、まるで太鼓持ちのようで、あまりいい印象を持たれないのも事実です。
東京オリンピックの招致のスピーチですっかり世界にも知られた「おもてなし」の心は、お客に誠心誠意尽くす気持ちを表す言葉として印象付けられました。
今のように自分の立場を優位にするための行いが接待だと思われてしまったがために、「おもてなし」の方が良い対応として広まったのではないでしょうか。
「おもてなし」の語源とは
「おもてなし」という言葉の語源は、数多くの説が言われています。
とくに東京五輪の招致の後には、小ネタみたいな雑学としていくつも登場しました。
たとえば
「ものを持って成し遂げる」
「表も裏もない」など。
いかにもそれらしいのですが、「おもてなし」の語源を調べると、平安時代にまでさかのぼります。
現在のように、お客への対応という意味ではなく、何か意図としてすることを「もてなす」と表現していて、それが「もてなし」の語源と考えられるようです。
まとめ
ビジネスの商談をスムーズに運ぶために飲食やゴルフで接待するのが当たり前になっています。
便宜をはかってもらうための接待が、まさか仏教に由来しているとは、少し驚いた方もいるのではないでしょうか。
接待という言葉の意味を考えるきっかけになれば幸いです。