理屈と屁理屈の違いとは?屁がつくだけでだいぶ違う意味になるの?

ことばの意味

屁理屈をこねるというのはあまり意味ではないですが、なぜ理屈にわざわざ「屁」なんて付けてしまったのでしょう。

理屈と屁理屈の意味の違いを比較してみました。

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理屈とは

理屈の意味を改めて問われると、きちんと答えることができる人はそんなに多くないような気がします。

理屈の意味は、

世の中で常識だと誰しもが納得するような考え方、物事のルールや道理と言われること

を理屈というようです。

常識的な考え方は、誰もが「それはその通りだね」と納得することです。
それを理屈というわけです。

ルールや道理のわからない子供などに説明する時に、なぜそのようなルールになったのかという理由が理屈です。

正しい道筋で物事を進めるつもりでも、その通りに行かない時などには「世の中は理屈通りにはいかない」などと言います。

理屈は正しい考え方というのが前提にあるわけです。

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屁理屈とは

理屈に「屁」をつける屁理屈は、理屈とはどう違うのでしょうか。

意味を調べてみると、

屁理屈は自分の立場をよくするために使ったり、相手に無理やり納得させるためのこじつけのように使われる理屈

のことです。

自分の間違いを正当化したり、間違いでも無理に納得させるために、色んな理由をつけることを屁理屈といいます。
単なる言い訳や嘘つきと違うのは、屁理屈は理屈を引っ張り出して言い包めようとすることです。

深く考えもせずに聞いていると、何となく正しいことを言っているような説明をしても、よくよく考えてみると単なるこじつけだったりすると「屁理屈をこねているだけ」と言われてしまうわけです。

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理屈っぽいのは嫌われる?

屁理屈とはまた違い、理屈っぽい人はあまり良いイメージがありません。

理屈は物事の道理として当然のことという意味なのですが、理屈っぽいのは勘弁して欲しいと感じる人が多いようです。

理屈っぽい人は、何かにつけて理屈を持ち出して説明しようとするから、周りで聞いている人は「また始まったか」と感じてしまいます。

理屈はわざわざ口にして説明しなくても・・ということも多いのに、何かあるたびに理屈を持ち出す必要もありません。

理屈っぽい人と話していると、簡単に終わる話も何倍も長くなることが多いのも嫌われる理由です。

ですが、理屈っぽい張本人は、人に良いことを教えてあげているという意識が働いてしまうので、退屈そうに聞いている様子を感じると不機嫌になったりします。

だから余計に理屈っぽい人は嫌がられてしまうのでしょう。

まとめ

屁理屈ばかり・・と言われた経験はありませんか?

私は親からよく言われていました。

屁理屈ばかり言っている子供なんて可愛くなかったでしょうね‥(;^ω^)

理屈と屁理屈は随分違う意味ですが、どちらにしても言い過ぎは嫌われるようなので、ほどほどにしましょうね。