稼ぐに追いつく貧乏なし。
このことわざの意味は、難しく考えることなく、そのままの意味として受け止めれば良いのです。
でも、今の世の中には、この「稼ぐに追いつく貧乏なし」が通用するのか、少し疑問ですが・・。
意味をしっかり考えてみましょう。
「稼ぐに追いつく貧乏なし」とは
「稼ぐに追いつく貧乏なし」の意味は、
一生懸命に働いていれば、お金に苦労することなない。
ということを伝えています。
貧乏になるのは、貧乏神に憑りつかれるからという昔の考えでは、頑張って真面目に働いている者には、貧乏神が追いつけないからという意味でもあるわけです。
似たようなことわざに「稼ぐに貧乏追いつけず」というのもあります。
貧乏神というのは、よほど足が遅いと思われていたのでしょうか。
それとも、一生懸命働いて稼いでいる人は、忙しく走り回っているので、貧乏神が追いつけないと思われたのでしょうか。
いずれにしても、勤勉であることは、お金の苦労を寄せ付けないための基本であることを教えているわけです。
「稼ぐに追い抜く貧乏神」とは
「稼ぐに追いつく貧乏なし」ということわざと同じ意味の「稼ぐに貧乏追いつけず」の追いつけない貧乏神を文字って、「稼ぐに追い抜く貧乏神」ということわざがあります。
これは、「稼ぐに追いつく貧乏なし」ということわざがあるから、それを皮肉った対義語です。
どんな時代にも、一生懸命に働いているのに、貧乏から抜け出せない人はいるものです。
今の世の中も、同じ仕事内容で、同じ時間働いているのに、正規雇用と非正規雇用とでは、収入に大きな差が生まれています。
いわゆる格差社会の典型です。
このように、一生懸命に働いているのに、それが報われないような境遇の人が、自虐的に使うのが「稼ぐに追い抜く貧乏神」というわけです。
貧乏神という神様は、人によって、足の速さが違うのでしょうか。
真面目に、一生懸命働いても、追いつき、追い抜いてしまう貧乏神もいるのでしょうね。
落語の演目にも「貧乏神」という噺があります。
貧乏神が居座っているから、働いてもどうせお金持ちにはなれない。
だったらもう、働くのなんてやめてしまえ!と開き直ってしまう男の話です。
たしかに、「稼ぐに追い抜く貧乏神」のことわざのように、頑張ってもどうせ貧乏神に追い抜かれてしまうくらいなら、そんなに頑張っても仕方ないと思うのも理解できますよね。
まとめ
貧乏神がどんな人や家を気に入るのかは、貧乏神に聞いてみないとわかりません。
でも、わざわざお近づきになるのも嫌なので、貧乏神さんとは縁を作らないようにしたいですよね。