人の自慢話を延々と聞かされるほど退屈なことはありませんよね。
自慢話を得意気に話している方は、そんなことちっとも気にしないのかも知れませんが。
大抵は、自慢話を得意気に話すのは、立場や年齢が上の人なので、聞かされる人は黙って聞いているしかありません。
ですが、基本的に日本人は人に自慢話をするのが苦手なはず。
謙遜するのが美徳だと思っているので、自慢話を延々と聞かせるのは、あまり褒められたことではないと思ってる人が多いのです。
では、「卑下も自慢のうち」とはどんな意味なのでしょう。
へりくだることが自慢になるとは、どういうことなのか解説します。
【卑下も自慢のうち】とは
「卑下も自慢のうち」とは、
謙遜するのは美徳ではあるが、必要以上にへりくだった言い方をするのは、自慢しているのも同じ
という意味です。
これは、極端にへりくだった言い方をする人に対する指摘です。
表面的には、「私なんて~」と自分を卑下しているようでも、本当は自慢している人への皮肉の意味があるのです。
謙遜している人の心理
「卑下も自慢のうち」というのは、表面上では謙遜しているのに、心の中では自慢したくてうずうずしているのがバレバレの様子の人のことを示す言葉です。
堂々と人に自慢できるようなことがあり、本心では自慢したいのに、「私なんて、全然たいしたことないですよ」と謙遜ばかりする人っていますよね。
でも、その謙遜の裏側には「もっと褒めて」という気持ちが見え隠れしています。
相手から称賛の言葉を引き出すために、わざと必要以上にへりくだっているのが、「卑下も自慢のうち」という言葉の隠された心理ではないでしょうか。
自慢は嫌われるが・・
「卑下も自慢のうち」というのは、自慢しているような極端な謙遜は見苦しいということを教えています。
ですが、ストレートに自慢するのも程々にしないと、やはり嫌われるのも事実です。
「自慢の糞は犬も食わぬ」というキツイことわざまであるほどです。
自慢する人は嘲笑われているという皮肉たっぷりのことわざです。
謙遜はほどほどに、自慢のほどほどに。
結局は、何でも程よさを知らないとダメということなのでしょうね。
これは謙遜するのが美徳としてみんなの中に認識されているからこそ、その頃合いがわからない人への厳しい表現です。
まとめ
謙遜するのは、日本人だけではありません。
ですが、必要以上に謙遜して、じつは自慢しているという感じは、たぶん他の国の人には理解できないかも知れませんね。
正直に自慢するのも、謙遜し過ぎるのもダメなんて、ほんとに難しいですよ。
だから、感情を表に出すのが苦手な国民性になったのかも知れませんね。