仲間外れにすることを「村八分」というのは、最近でも使っていますよね。
「村八分」というくらいなので、その村の中で仲間外れにすることがこの言葉の語源だというのはわかります。
ですが、なぜ村の中で仲間外れにすることは「八分」なのでしょう。
その由来について解説します。
「村八分」の意味とは
「村八分」は仲間外れにするという意味で使われています。
ただし、もともとは理由もなく仲間外れにするわけではなく、村のおきてを守らなかった者に対する制裁という意味でした。
現代の村八分は、意味もない仲間外れにも使いますが、本来は理由もないのに意地悪ですることではなかったのです。
江戸時代に生まれた言葉だと伝わっていますが、江戸時代は村単位の自治がかなり制度化されていたようです。
村ごとに年貢をまとめて納めるような制度があったので、決まり事を守らない者には制裁を加えなければ治められなかったのだと考えられます。
「村八分」の語源とは
「村八分」の語源は、八分が由来です。
村のおきてを守らなかった家とは、村人たちは付き合いをしないと決めるのが「村八分」です。
しかし、一切の付き合いをやめるのではなく、二分は除きます。
何が除かれるのかと言えば、火事と葬式です。
火事に関して言えば、自分たちにも火の粉が降りかかる危険があるため、仲間外れにしていても火事になれば助けます。
また葬式に関して言えば、死んでしまえば仏になるので、もう制裁の対象ではなくなるからです。
一説には、死体を放置されると困るので、葬式だけは手助けするからという説もあります。
いずれにしても、火事と葬式を除いた八分は付き合いをしないことが「村八分」の語源と言われています。
江戸時代の農村では、田畑の作業は村人たちで協力し合うので、仲間外れにされるのはとても困ることだったようです。
また、村によっては村民たちがお金を出し合い、病人や死人が出てしまった家を助けるような相互扶助の仕組みもあったようです。
そのような村の中での支え合いの中に入れてもらえないのは、過酷な生活を強いられることだったと思います。
「村八分」の8つの付き合いとは
今の世の中は、隣にどんな人が住んでいるのかわからないし、町内会のような自治体の存在意義もなくなっている地域もあります。
とくに都市部ではそうですよね。
隣近所の人と付き合わなくても、何も困らないのです。
しかし、今でも地方に行けば近隣との付き合いを大切にする考え方もあるので、村八分のようなことが存続しているのかも知れません。
ただ、昔のように村人が約束事として仲間外れにすることはまずないでしょう。
ここで疑問に思ったのは、火事と葬式の他の付き合うとはどんなことがあるのでしょうか。
地域によっては農作業や漁、山仕事などの生業の助け合いが8割という意味もあったようです。
一説には、今もある人付き合いの基本的なこと10の項目としていたことが由来とも言われます。
②出産
③葬式
④法事
⑤病気
⑥水害
⑦成人
⑧独立
⑨火事
⑩増改築
いわゆる冠婚葬祭やお祝いごとの付き合いは今でもありますね。
病気で困った人を助けるのは、生命保険制度のベースになったと言われています。
さらに水害による被害は、村全体の問題なので皆で協力し合います。
増改築に関しては、合掌つくりのような茅葺きの屋根の葺き替えは村人たちが助け合うものだったのです。
つまり、火事と葬式だけは除いて仲間外れにされてしまうと、農作業などの生業だけじゃなく、生活を維持するのに困ることもあったのです。
お祝い事の付き合いはなくても困らないかも知れませんが、水害や病気、増改築などは人の助けを得られないのは大変困ったのではないでしょうか。
まとめ
村八分にされるのには、何か理由があったのでしょうが、今のように簡単に他の土地に引越すこともできなかった時代には厳しいことですね。
そういう村単位の自治がしっかり守られていたのは良い面もあったでしょうが、今は仲間外れにするだけの悪意だけが残ってしまったような気もします。