【泥試合】ではなく【泥仕合】と書くのはなぜ?その理由とは?

ことばの雑学

スポーツ試合の中継をテレビ観戦している時などに、解説者が「泥臭くても諦めずに粘らなけば」とか「泥臭い勝ち方でもイイんですよ」などと「泥臭い」という言葉をよく使います。

その言葉が頭に残るので、てっきり「泥試合」だと思いんでいる人もいるのではないでしょうか。

読み方としては「どろじあい」ですが、「泥試合」ではなく「泥仕合」と書くのが正しいのですよね。
しかしなぜ「泥試合」ではなく「泥仕合」と書くのか、その理由を解説したいと思います。

「泥仕合」の語源にも触れていきますので、参考にしてください。

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「泥仕合」の意味とは

「泥仕合」には、

相手の秘密を暴露したり、失敗した過去をほじくり返したり、弱点や欠点をことさらに強調して攻撃するような醜い争い。

という意味があります。

また、「泥仕合」はもともとの争いの原因から横道にそれてしまい、争点がどんどんズレていくような様子を表す言葉として使われることもあります。

ケンカの原因とは全く関係のない相手の欠点などを引っ張り出して言い争うような様子を見ていると「みっともない泥仕合だな」などと言われるのではないでしょうか。

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「泥仕合」の語源とは

「泥仕合」の語源は、泥の中で泥にまみれながら争うことです。

泥の中でし合うことから「泥仕合」と書きます。

スポーツなどの勝負を決めるための競技の「試合」のことではないので、「泥試合」と書くのは間違いなのですね。

しかし、泥の中で泥まみれになりながら争うなんて、普通には考えられないことですよね。

さらに語源を調べてみると、歌舞伎の舞台に関係しているようです。

歌舞伎の演出の手法として、舞台の上に本物の泥を入れて、その中で泥だらけになって立ち回りをすることがあったそうです。

それが「泥仕合」の由来と言われているのです。

泥まみれの姿で争う様子が、お互いの醜態を晒し合いながら争うことを表す言葉として使われるようになったのではないでしょうか。

歌舞伎から生まれた言葉は数多くあります。

たとえば「十八番」「三枚目」「助六寿司」「大詰め」などは歌舞伎が由来になって広まった言葉です。

そして「泥仕合」も歌舞伎に関連しているとは・・・。

いったい歌舞伎はどれほど庶民の暮らしの中に大きな影響力を持っていたことがわかります。

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「泥臭い」との関係は?

「泥仕合」を「泥試合」と間違えてしまう理由は、冒頭でも書いたように、スポーツの試合などで「泥臭い勝ち方」などと言われることがあるからです。

そこで「泥臭い」という言葉の意味も調べてみました。

「泥臭い」とは、田舎くさいという意味だったのです。

田舎から出てきたばかりの人のことを「垢抜けない」なんて言いますが、それと同じ意味です。

そのことから、カッコつけないやり方のことを「泥臭い手法」なんて言うようになったわけです。

スポーツの実況で「泥臭い勝ち方」と言うのは、洗練されたテクニックは使わない勝ち方ということなのでしょう。

「泥仕合」とは関係ないので、「泥臭い試合」から「泥試合」と間違えないように気を付けてください。

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まとめ

「泥仕合」は、醜い争いという意味で使われるのですが、もともとはホントに泥の中で争うことだったのですね。

今でも地方には泥の中で相撲をしたりする行事もあるようなので、歌舞伎よりも古くからあるとすれば、そちらが語源なのかも知れませんが、定かにはなっていません。

「泥試合」と間違えないように、その点だけはしっかり押さえておきましょう。

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