「道楽息子に妹の意見」ということわざを聞いたことがありますか?
あまり使われないことわざなので、聞いたことがない人もいると思います。
道楽息子は今でもたまには耳にすることがあります。
どのような意味があるのか、解説しましょう。
また、道楽息子と似ているどら息子との違いについても調べています。
「道楽息子に妹の意見」とは
「道楽息子に妹の意見」ということわざには、
まったく効果のないこと。
または、まったく手ごたえのないこと。
という意味があります。
なぜ「道楽息子に妹の意見」が効果のないことを表しているのでしょうか。
「道楽息子に妹の意見」の意味
道楽息子というのは、親の言うことを聞かずに、遊んでばかりいるような怠け者の息子のことです。
放蕩息子と呼ぶこともあります。
道楽息子に対して、色々な方法で真面目に働いてもらおうと親は考えます。
第三者にお説教してもらったり、頭をひねって策を考えるものです。
ですが、親がどれほど言っても真面目になってくれない息子には、よほどの手段を使わなければ効果はなかったのでしょう。
「道楽息子に妹の意見」とは、親を悩ませて困らせる道楽息子には、妹の意見などまったく効果はないでしょう!ことから生まれたことわざです。
親の言うことは聞かなくても、可愛い妹の意見なら聞いてくれるのかも?と微かな期待を持っていたとしても、所詮は親の言うことも聞かない道楽息子には効果もないし、手ごたえもないというわけです。
でも、親の言うことは聞かなくても、妹にめっぽう弱い兄が道楽息子だとすれば、妹の意見を聞く可能性もありますが・・。
あくまでも一般論として、親が手を焼いている道楽息子には、妹の意見など何の効果もないのでしょう。
道楽息子とどら息子の違い
道楽息子とは、遊びに夢中で働かない怠け者の息子のことですが、そもそも道楽というのは、俳句や釣りや園芸などの趣味のことでもあります。
その道を理解して楽しむというのが道楽の意味ですが、道楽にハマり過ぎると仕事もしなくなるというのが道楽息子の語源になったのでしょう。
同じようにどら息子も親を困らせるどうしようもない息子のことです。
道楽息子とどら息子は似ているのですが、どら息子の語源は銅鑼(どら)だと言われています。
銅鑼というのは大きな音を出す平らな鐘のようなものです。
つまり、「銅鑼を鳴らす」=「鐘を突く」という意味から、親の財産も使い果たして「金が尽く」とかけて生まれたという説があります。
道楽息子もどら息子も、親を困らせる息子というのは同じなので、とくに大きな違いはないのですね。
まとめ
「道楽息子に妹の意見」ということわざは、親を困らせる道楽息子に限定して使うのではなく、効果のないことや手応えのないことに対して使うことわざです。
ですが、道楽息子というインパクトの強い言葉を使っているので、広く使われることが少ないのかも知れませんね。