「多言は数(しばしば)窮す」とう古い言葉があります。
多言とは口数が多いこと、つまりおしゃべりな人のことです。
それがわかれば、この言葉が伝えたい意味の輪郭は見えてくるのではないでしょうか。
「多言はしばしば窮す」のように、「多言」という言葉が使われることわざや慣用句は他にもあります。
今回は「多言」を使った言葉について解説します。
「多言はしばしば窮す」の意味とは
「多言はしばしば窮す」とは、
口数が多いと、つい余計なことを口走ってしまったり、人には言えない秘密なども思わず話してしまうことこあるので、自分が困ることになる。
という意味です。
そしてもう1つ意味があります。
それは、口数が多いと言葉に重みが感じられなくなるため、信用されなかったり、しっかり聞いてもらえなくなることがあるという意味もあります。
「多言はしばしば窮す」の使い方
「多言はしばしば窮す」はどのような時に使うのか、例文で見てみましょう。
まったくあの人の話は長くて、結局何を言いたいのかまったくわからなかったよ。
色んな人の悪口を言ってたのはわかったよね。
あの人が嫌われているって噂を聞くけど、納得してしまうよ。
多言はしばしば窮すってあの人みたいなおしゃべりなことを言うのね。
このような場面で使えますね。
「多言は身を害す」とは
「多言はしばしば窮す」と重なる意味の言葉に「多言は身を害す」があります。
口数が多いと、余計なことを言ってしまい、人を傷つけて恨まれたり、人の秘密を暴露して迷惑をかけて恨まれることもあるからです。
その結果、自分に災いが返ってくるというので「多言は身を害す」といわれるのです。
同じ意味の言葉に「口は禍(わざわい)の門」ということわざもあります。
「口は禍の元」とも言います。
意味は同じですが、一般的には「口は禍の元」の方が使われている印象がありますね。
「多言は一黙に如かず」とは
「多言は一黙に如かず」という言葉は、言葉の重みを表しています。
口数が多い人が長々と話すよりも、沈黙の方が説得力があるという意味です。
たしかに、ペラペラしゃべる人の話よりも、口数が少ない人が発する一言の方が重みがあって説得力がありますからね。
同じ意味の言葉には「言わぬは言うにまさる」や「雄弁は銀、沈黙は金」などがあります。
いずれも口数は少ない方が良いという意味です。
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まとめ
「多言はしばしば窮す」や「多言は身を害す」のように、おしゃべりな人は自分が苦しむというのは、身のおぼえのある人もいるのではないでしょうか。
私自身もそうですが、つい調子に乗ってしゃべり過ぎてしまうことがあるので、気を付けたいと思います。