濡れ手に粟と濡れてで粟はどちらが正しい使い方なの?

ことわざ・慣用句

濡れ手に粟というのは、苦労もしないでオイシイ結果になった時などに使う言葉です。

棚から牡丹餅と同じような意味の慣用句として、日常的に使われますよね。

ことだま
ことだま

濡れ手に粟、いいよね~

 

にゃんこ
にゃんこ

そんな経験はほとんどないわ

ことだま
ことだま

苦労しないで得することなんて、滅多にないよ。

言葉の意味も正しく理解している人が多いので、よく耳にすることわざです。

では、濡れてに粟と濡れ手で粟ではどちらが正しいのかわかりますか?

ことだま
ことだま

・・・・よく聞くのは濡れ手に粟だな

にゃんこ
にゃんこ

うん、濡れ手で粟ってちょっと変かも

どちらが正しいのか、調べてみましょう。

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どちらが正しいの?

濡れ手に粟なのか、濡れ手で粟なのか、どちらが正しいのか調べてみると、結論としてはどちらでも間違いではないことがわかりました。

ただ、本来は濡れ手で粟として生まれた言葉なので、どちらが正しいのかどうしても結論を出さなければいけないのなら、濡れ手で粟ということになるでしょう。

ですが、実際には濡れ手に粟という使い方をしている割合が圧倒的に多いのです。

どちらでも間違いではないので、濡れ手に粟の方が耳慣れているし使いやすいですね。

濡れ手で粟の意味とは?

濡れ手に粟という言葉の意味を理解するためには、粟とは何なのか知らないと理解できないと思います。

粟とは穀物の一種で、五穀の1つです。
黄色っぽく、とても小さな粒です。
鳥のエサになったりしますし、雑穀米にも粟が入っています。

粟を潰した餅もあります。
粟は米や麦は育ちにくい高地でも栽培できるので、山間の土地などで栽培されます。

小さな粟の粒を掴む時に、手が濡れているとビッシリと粟が手に付きます。

沢山掴もうとしなくても、濡れた手を粟の中に突っ込むだけで粟が取れます。

何の苦労をしなくても、利益を得ることができるという意味のことわざとして、古くから使われています。

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間違えやすい粟と泡

濡れ手に粟、濡れ手で粟のことわざの「粟」を「泡」だと思っている人がわずかにいるそうです。

濡れ手なので手を洗う時に出る泡を連想させるからでしょう。

それで水の泡になるという意味と同じように考えて使っている人もいるようです。

水の泡となって消えるというのは、苦労して得たものが泡のように消えてしまうという意味なので、濡れ手で粟とは正反対の意味です。

もしも苦労して築き上げたものが消えてなくなってしまって落ち込んでいる人に対して、濡れ手に粟なんてことわざを勘違いして使ってしまうと困るので、粟と泡の違いを理解しないと怖いですね。

まとめ

濡れ手に粟でも濡れ手で粟でも、どちらでも間違いではありません。

ですが、粟と同じ読み方をする泡と勘違いしないように注意しましょう。