五月五日はこどもの日。
男の子の健やかな成長を願う端午の節句ですね。
勇ましい武者人形を飾り、こいのぼりの泳ぐ姿を見上げるのが五月を表す風景です。
なのに五月の鯉で口ばかりなんて、ちょっと変なことわざがあるので不思議に感じてしまいました。
五月の鯉で口ばかりってどんな意味なんだろう
鯉は口をパクパクさせるけど、それと関係あるのかな
というわけで、五月の鯉で口ばかりということわざの意味をご紹介します。
五月の鯉で口ばかりとは?
五月の鯉で口ばかりとは、口は悪いが悪気はなく、根に持たないサバサバした性格の人のことを表した言葉です。
ハッキリした物言いをする人は、裏表がなくサッパリとした気性で気持ちが良いなんて言われたりします。
江戸っ子の気性はまさにそんな感じでした。
せっかちで短気で、けんかっ早くて。
でもお腹の中には残さないのでサッパリしている。
そんな気性のことをこいのぼりの鯉に見立てたのです。
こいのぼりの鯉は、口がぽっかりと大きく開いています。
口から風が入ることで、ふんわりと膨らんでキレイに空を泳ぐように見えるからです。
口が大きく開いているわりに、お腹は空っぽです。
それが江戸っ子の気質をよく表していることから、五月の鯉で口ばかりという言葉が生まれたわけです。
江戸っ子とは真逆の京の都の人々
五月の鯉で口ばかりが江戸っ子のサバサバした性格を表現する言葉というのは、江戸がよそ者が集まってできた町だったからこそ生まれた言葉だと思います。
江戸はもともと荒れた平野が広がっていました。
関東平野を領地として与えられた徳川家康が江戸を作ったのです。
尾張や三河の国から商人たちを呼び、江戸が賑やかになり、豊臣の世が終わり、徳川の時代になると、江戸には日本各地からどんどん人が集まるようになりました。
昔ながら代々暮らしてきた住民が少ないので、言いたいことを言い合っても後腐れがなかったのでしょう。
一方の京都は都として長い歴史があります。
昨日今日知り合った人ではなく、先祖代々付き合いがあり、その後も続くであろう関係性があります。
だから本音ではなく建て前で物を言うのが京都の風習なのです。
例えばお茶のお代わりを勧められたり、お茶漬けを勧められた場合は「そろそろ帰ってください」ということだとか・・よく聞きますよね。
本音を言ってもめてしまうと、ずっと付き合わなくてはいけないので困るので、京都の人たちが長い間に身につけたコミュニケーション方法なのです。
京都人は本音を言わないから怖いと感じる人もいるようですが、江戸っ子気質のズバズバした物言いも、慣れない人は怖いです。
江戸っ子と京都の人の中間くらいが付き合いやすそうな感じがするのは私だけでしょうか。
まとめ
五月の鯉で口ばかりということわざのような気質の人は、たしかに裏表もなくて正直な人なのかも知れません。
お腹の中の考えていることをそのまま口にしてしまうのが良いことなのかわかりませんが、本心がわかりにくいよりは扱いやすいのかも知れませんね。