【人盛んにして神祟らず】とはどんな意味の言葉なの?

ことわざ・慣用句

「人盛んにして神祟らず」という言葉があります。

「祟り」とは恐ろしい言葉なので、何かとても怖い意味を持つ言葉のような印象を持ってしまいそうです。

そもそも神仏の祟りとはどういうことなのでしょう。

よく「バチが当たる」なんて言いますが、祟りとバチは違うものなのかも今ひとつはっきりしません。

今回は「人盛んにして神祟らず」という言葉の意味から、祟りについてまとめてみました。

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「人盛んにして神祟らず」の意味とは

「人盛んにして神祟らず」とは、

人間の運勢が強い時や盛んな時には、その勢いをたとえ神様や仏様でも妨げることはできない。

という意味です。

運勢というのがほんとうにあるのかはわかりませんが、「運の強い人」とか「幸運に恵まれている人」と呼ばれるような人がいます。

そういう人は、何をしても成功するような勢いの良さが見えます。

運勢の強い人のことは誰も止められないという意味を表すために、神仏を使っているのです。

「祟り」とは

「人盛んにして神祟らず」は、神仏の祟りを引き合いに出して、運勢の強さを表しています。

ですが、祟りとは目に見えないものによる災いという意味の言葉です。

神仏を怒らせるようなことをしてしまうと、祟りとなって災いを被ると信じられてきました。

人間の罪に対する災厄というのが祟りだと考えられてきました。

「バチが当たる」も同じ意味ですが、「バチ」は「罰」のことなので、神仏のような目に見えないものによる災厄に限らないのが違う点です。

それに、「祟り」と「バチ」とでは、印象として祟りの方がはるかに恐ろしく感じますね。

「祟り」と似ている「呪い」も怖い言葉です。
「呪い」は人が悪意をもって誰かを不幸にするための手段なので、「祟りよりも人的な災い」として考えます。

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「人盛んにして神祟らず」を深読み

「人盛んにして神祟らず」は、運勢の強い人を表す意味の言葉ですが、深読みするとあまり良い意味ではありません。

なぜなら、「神祟らず」という部分の意味を考えるからです。

人の運勢が強い時には、その勢いを誰も止められないという意味なら「祟り」という言葉を使うのは違和感をおぼえます。

わざわざ「祟り」を持ち出すのですから、運勢が強いだけじゃなく、人の道にするような不正をしているのに誰も咎められないという意味のように感じてしまいます。

神仏に祟られるようなことをしているのにもかかわらず、運勢が強いから上手くいっているという意味が隠れているように感じます。

ですから、勢いよく突っ走っているけれど、正々堂々とフェアに行動している人に対して「人盛んにして神祟らず」とは使い難いと思ってしまいました。

あくまでも個人の印象ですが、使う相手を選ばないと失礼にあたるような気がしました。

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「人盛んにして神祟らず」の類義語

人の運勢が強いことを意味する言葉は他にもあります。

「凡夫盛んに神祟りなし」
「神力勇者に勝たず」
「仏力も強力に勝たず」
「人衆ければ天に勝つ」

このように、人の強さや勢いを表すために、神、仏、天などを使っている言葉があります。

つまりは、人間が敵うはずもない相手でも、勢いのある人は止められないという意味なのでしょう。
それほど神仏の力を信じていたからこそ、生まれた言葉なのではないでしょうか。

まとめ

「人盛んにして神祟らず」という言葉の裏側には、運勢の盛んな人にとって神仏は恐れる存在ではないという意味も含まれているのかも知れません。

ですが、神仏を大切にしている方が良い運が巡ってくるような気もします。
目に見えないとしても、神仏の怒りを買うようなことは避けたいと思いますよね。

どんなに運勢は強い時でも、神様や仏様に顔向けできないことはしない方が良いでしょう。