「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざを知っていますか?
聞いたことがない人は、まず「地頭とは?」という点でつまずいてしまうかも知れませんね。
このことわざが伝えようとしているのは、どのような意味なのでしょうか。
今回は「泣く子と地頭には勝てぬ」の意味について解説します。
「泣く子と地頭には勝てぬ」の意味とは
「泣く子と地頭には勝てぬ」は、
道理のわからない者には、何をどう言っても無駄だ。
という意味です。
このことわざで言う「泣く子」とは、まだ言葉も通じない年齢の子供や、ダダをこねて泣いている子供のことです。
泣き始めたら、言い聞かせても泣き止みません。
これは、育児経験のある人なら、理解できると思います。
泣く子共には言葉で説明して納得させられるのは、無理だと思って接するものです。
では、「地頭」とは何なのでしょう。
最近は、勉強して得た知識ではなく、もともとの能力として頭の良い人のことを「地頭(じあたま)が良い」なんて言います。
ですが、「泣く子と地頭には勝てぬ」の「地頭」は「じとう」という立場の人を指しています。
「地頭」とは、平安時代から存在していたようです。
現代に置き換えると、地方自治体の長という立場の人のことですが、地頭の主な仕事は租税の徴収です。
つまり、税金を取り立てる人のことを地頭と言います。
地頭は自分が任せられた土地の税を集めなければ、自分自身の立場が悪くなります。
ですから、例えば天候不良で農作物の収穫量が少なくても、強引に徴収するようなこともあったのでしょう。
現代以上に天候に左右されていたはずなので、事前に定められた量が収穫できるとは限りません。
ですが、地頭にはそんなことを説明しても通じなかったのでしょう。
そうして苦しめられた民たちの気持ちが「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざになったのではないでしょうか。
道理のわからない地頭が置かれた土地で暮らす人たちが、とても多かったからこそ、このようなことわざが生まれたのだと想像できます。
地頭よりも泣く子の方がマシ?
道理のわからぬ者の象徴として「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざに並べられた「泣く子」と「地頭」です。
しかし、「泣く子」の方が「地頭」よりもまだ話が通じるのでは?と思わせるようなことわざがあります。
「泣く子も目を見る」です。
「泣く子も目を見る」の意味は、何の分別もなく、周りのことなんて考えずに泣いているように見える子供でも、泣きながら周囲の様子をうかがいながら振舞っているという意味です。
ほんとうに幼い月齢の赤ちゃんは、空腹や眠気や苦痛などを泣くことで訴えます。
しかし、大人の言葉を少し理解するくらいになると、周りの空気を察しながら泣いていることもあります。
子供なりに「ここまでなら大丈夫」とか「これ以上はダメかも」と空気を読んでいるということなのでしょう。
泣きながらも、時々は周りの様子を確認する仕草をする子供はいますよね。
だとすれば、全く何も通じないわけじゃないので、地頭よりも泣く子の方が救いがあるような気がします。
地頭は自分の立場を守るために、情け容赦もなかったのでしょうから、泣く子のほうがまだマシです。
まとめ
「泣く子と地頭には勝てぬ」のように、きちんと理由を話しても通じない相手には敵いません。
諦めるしかないのでしょう。
そういう話の通じない相手とは、できるだけ関わりたくないものです。