【他人の飯を食う】という言葉にはどんな意味があるの?

ことわざ・慣用句

「他人の飯を食う」という言葉をそのまま言葉通りに聞くと、赤の他人の食べ物を奪って食べるような無礼な行為のことだと思ってしまう人もいるのではないでしょうか。

ですが、「他人の飯を食う」という言葉には、深い意味があるのです。

人の食べ物を奪うような無礼な行為のことを指す言葉ではないので、もしも意味を知らないのならぜひおぼえておきましょう。

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「他人の飯を食う」の意味とは

「他人の飯を食う」とは、

親元から離れて、他人の中で苦労しながら社会の厳しさを学び、色々な経験を積むこと。

という意味があります。

なぜ親元から離れて、実社会で経験を積むことを「他人の飯を食う」と表すのでしょうか。

それを理解するためには、親の愛を理解する必要があります。

親の愛を理解するために、「他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ」ということわざがあります。

「他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ」

「他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ」とは、

親元を離れて、他人の中で苦労して暮らす経験をしなければ、親がどれほどありがたい存在なのか理解できない。

という意味です。

親は、子供を立派に成長させるために、無償の愛を注ぎます。

何の見返りも求めないのは、親だから当たり前なのですが、その愛に対して感謝しなければいけません。

しかし、親元でぬくぬくと甘えさせてもらう生活を続けていると、親のありがたみをなかなか実感することができません。

でも、親元を離れてみると、他人は働きもしない者には何もしてくれないのです。

他人の飯とは、親元を離れて自分の働きで飯を食うということなんですね。

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「可愛子には旅をさせよ」は親への言葉

「可愛子には旅をさせよ」ということわざは、よく耳にしますよね。

これは親に対しての教えの言葉です。

自分の子供が可愛いのなら、親元で甘えさせてばかりいないで、世の中に送り出して色々な経験をさせた方が子のためになるという意味です。

「他人の飯を食う」と同じように、親元にいるよりも厳しい実社会に出ることが重要だと教えています。

親がいつまでも自分の子供が幼いままだと思い込み、子離れできなければ、子供も甘やかされる暮らしが当たり前だと思うので、いつまでも成長できません。

「可愛子には旅をさせよ」と同じ意味の言葉は他にも、

「いとしき子には旅をさせよ」
「思う子に旅をさせよ」
「可愛い子は打って育てろ」
「可愛い子には薄着で育てろ」
「可愛い子には灸をすえよ」
「獅子の子落とし」

このように厳しさも愛情のうちだということわざは数多くあるのです。

まとめ

「他人の飯を食う」とは、親元から自立して、社会で経験を積むという意味の言葉です。

ずっと実家の親と一緒に生活することが悪いわけじゃないとしても、若い時には親元から離れて自分だけの力で生活してみることは、その後の人生に役立つと思います。