伊達の素足も無いから起こるということわざを知っていますか?
伊達と言えば伊達政宗の伊達ですよね。
伊達政宗は、とてもオシャレな人で、一日何度も着替えていたという記録が残っています。
それが伊達男の由来になったと言われていますよね。
じゃあ、伊達の素足も無いから起こるという意味には、オシャレに関することが含まれているってことなの?
伊達の素足・・・オシャレな男の人は素足がカッコイイと思っているとか。
さて、どうなのでしょう。
伊達の素足も無いから起こるとは
伊達の素足も無いから起こるとは、どうしようもないからガマンするしかないという意味です。
伊達というのはオシャレなこととして使われる言葉です。
なので、伊達男が凍り付くような冬に素足で過ごしている様子を見ると、「あれは粋な伊達男のこだわりなのか」と勘違いする人もいます。
ですが、さすがの伊達男でも、凍り付くような寒い日に素足でいるのは辛過ぎます。
では、なぜそんなガマンをしているのか・・・。
それは貧乏だから。
お金が無くて足袋も買えないからです。
オシャレのつもりでガマンしているのではなく、手に入れられないから仕方なく素足でいるだけのことです。
同じ伊達でも意味の違うことわざ
それにしても、なぜ寒いのに素足で耐えている伊達男のことを、粋を気取ってガマンしているなんて思ってしまうのか。
その理由は「伊達の薄着」という言葉があるからです。
これは、伊達男は寒くても着ぶくれするような厚着はせずに、寒さをガマンしてもカッコ良い着こなしを好むという意味です。
伊達の薄着と同じ意味で、もう一つ「伊達の素足」という言葉もあるのですよ。
そんな言い回しで伊達男を表現するので、「伊達の素足も無いから起こる」ということわざの意味がややこしくなるのだと思います。
現代にも通じることわざ
伊達男が伊達政宗のことだと知っている人は多く、オシャレで粋な男の代名詞として現在も使われています。
だからこそ、貧乏だから足袋が買えないなんて意味が隠れているなんて思わない人が多いのではないでしょうか。
ですが、若い女性などが真冬でも素足で短いボトムで外を歩く姿や、薄着で外出する若い男性を見ると、「伊達の薄着」なのか「伊達の素足も無いから起こる」なのか見ただけでは判断できません。
まったく正反対の意味のことわざがあるのは、人は見た目ではわからないということだと思います。
まとめ
伊達の素足も無いから起こる。
もしもオシャレに気を配っている人が、季節に合わない服装をしていたら、このことわざを思い出してしまうでしょうね。
オシャレのためのやせ我慢なのか、それとも買えないから我慢するしかないのか、見た目ではわからない人は、日ごろからオシャレに対して強いこだわりがあるというのは間違いなさそうです。