【意見と餅はつくほど練れる】とはどんな意味があるのだろう

ことわざ・慣用句

「意見と餅はつくほど練れる」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

意見と餅という、結びつく点が思い当たらない2つのことを使って伝えようとしています。

餅はつくほどなめらかになり、美味しくなるのはわかりますが、意見を餅にたとえているのか疑問です。

「意見と餅はつくほど練れる」の意味について、解説しましょう。

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「意見と餅はつくほど練れる」の意味

「意見と餅はつくほど練れる」は、

餅はつけばつくほど練れておいしくなるように、人間も他人の意見に従えば従うほど人格が練れて円満になる。

という意味です。

人として成長するためには、他人の意見を素直に聞いて、従うことが大切だという教えの意味があります。

「意見と餅はつくほど練れる」の使い方

「意見と餅はつくほど練れる」は、どのような場面で使えるのでしょうか。

例文で見てみましょう。

 

先輩、お久しぶりです。

支社に異動になって一年経ったなんて早いわ。

ほんとにあっという間でした。

ところで、あなた随分と落ち着いた雰囲気になったわね。

そうですか?

大きな仕事を任されるようになったのもわかるわよ。

ありがとうございます。
支社でクセの強い取引先に鍛えられたからかも知れません。
厳しいこともたくさん言われましたし。

意見と餅はつくほど練れるというから、人の意見をしっかり聞いて成長したのね。

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「意見」を重視する言葉

人の意見を聞くことが、いかに重要なことなのかを意味する言葉を探してみました。

「意見三両、堪忍五両」という言葉がありました。

これは「意見と餅はつくほど練れる」よりも、もっとストレートな表現なので理解しやすいですね。

人の意見や忠告は、とても価値がある。

そしてどんな厳しい意見や忠告にも、じっとガマンして聞く態度にはそれ以上の価値があるという意味です。

ちなみに、一両が現在のお金の価値ではどのくらいなのか調べてみました。

時代によって一両の価値は大きく変わっていました。

江戸時代の初期では一両は10万円ほどの価値がありました。

江戸時代の中期以降になると4~6万円でした。

幕末になると、1万円ほどになったと言われています。

また、一両の価値は物やサービスによっても違ったそうです。

「意見三両、堪忍五両」という言葉の意味を考える時に一両の価値をイメージすると、かなりの大金になりますが、幕末にはそれほどでもなかったのですね。

とはいえ、人の意見を聞いて、ガマン強く生きることの価値については理解できます。

人の意見に耳を傾け、耳が痛いことでもガマンして聞く姿勢は、人間性を養う上で大切なことなのでしょう。

まとめ

「意見と餅はつくほど練れる」という言葉を聞くと、意見と餅の組み合わせが不思議な感じです。

ですが、意味を知ると納得です。

餅のように弾力があるのに柔らかく、なめらかな人柄になるための秘訣を伝えている言葉だったのですね。

人に厳しい意見を言われている時には、思い出せるように頭に入れておくと良いかも知れませんよ。