【名主の跡は芋畑】ということわざにはどんな意味があるの?

ことわざ・慣用句

「名主の跡は芋畑」ということわざを知っていますか?

今の時代には名主と呼ばれる人はいないので、聞いたことがあったとしても、意味を知らない人が多いでしょうね。

「名主の跡は芋畑」ということわざの意味を知ると、考えさせられる人や耳が痛い人もいると思います。

どのような意味なのか、解説しましょう。

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名主とは

「名主の跡は芋畑」の意味を理解するためには、名主と呼ばれる人について知っておく必要があります。

名主とは、今の時代で考えると村長のような立場の人です。

年貢をまとめたり、その土地を治める大名と村人との間に入る役割をする立場です。

役人のようであり、村人の代表のようでもある人ですが、その村では一番の田畑を持つ者が名主になることが多かったようです。

領地を持つ武士のことを大名と呼びますが、これは名主の中でも大きな力と土地を持つ大名主が語源になったと言われています。

大名と呼ばれる人たちの中には、その村をまとめる名主がルーツだった人もいたのでしょう。

「名主の跡は芋畑」と意味

「名主の跡は芋畑」とは、

名主の家は何代も続かない。

という意味です。

なぜ名主の家は何代も続かないのか・・。

その理由は、名主という立場はとても忙しく、自分の田畑の仕事をする暇も奪われてしまうから。

年貢として納める米を育てるための水田は、手をかけなければいけないので、自分の田んぼのことを後回しにしなければいけなくなるほど大変な立場だったのでしょう。

また、名主という立場になると、出費が多くなるので、家の財産も底をついてしまうから。

三代続けて名主を務めると、田畑も家も財産も失うと言われていたのです。

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「名主の跡は芋畑」と似た言葉

「名主の跡は芋畑」と似た意味のことわざは他にもあります。

いくつか見てみましょう。

名主の三代草だらけ

「名主の三代草だらけ」は、「名主の跡は芋畑」と同じく、名主を長く務めると、田畑の手入れをする暇もなくなり、三代も名主を務めた後の田畑は草だらけに荒れ果てるという意味です。

名家三代続かず

「名家三代続かず」とは、どんな名家でも三代も続けて優秀な人物が出ることはないという意味です。

名家の当主として生まれた人は、それなりに教育を受けるものですが、立派な人物ばかりが同じ家に三代続けて出ることは滅多になかったのでしょう。

長者に二代なし

「長者に二代なし」とは、裕福な長者の家に生まれてきたものは、幼いころから贅沢を知っているので、財産を食いつぶしてしまうことが多いという意味です。

今でもお坊ちゃん育ちが家をつぶしてしまうことはありますよね。

「名主の跡は芋畑」とは意味は違いますが、立派な家は長く続かないという意味では通じる部分があります。

長者三代

「長者三代」は、初代の苦労、二代目の努力を知らない三代目が家の財産を失ってしまうという意味です。

「長者に二代なし」と似ていますが、初代の苦労を近くで見て育った二代目は、その苦労の証を失うまいとして必死に努力するケースもあります。

しかし、三代目になると、生まれた時から裕福なので、そんな苦労も知らずに育つので浪費してしまう家が多かったのでしょう。

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「名主の跡は芋畑」から学ぶこと

「名主の跡は芋畑」とは、役人になるとその家が潰れてしまうという意味を含んでいます。

つまり、役人はボランティアだったわけです。

名主になる人は、そもそも裕福です。

しかし、裕福だったとしても、ボランティア精神で働くので、財産を失うことになってしまうわけです。

逆に、長く名主を続けられるのは、村人のためではなく私利私欲のために名主をしているということです。

良い名主ほど、長く続けられないわけですね。

このことわざを現代に当てはめてみると、政治家ではどうでしょう。

海外を見渡すと、国会議員だけじゃなく、地方議員の報酬はとても低いです。

それは、裕福な人じゃなければ政治家を目指せないという負の一面もあるのかも知れません。

でも、裕福な人だからこそ、自分の利益を求めずに仕事ができるという良い面もあるのです。

日本の国会議員さんたちは、とても高い議員報酬を受け取っています。

そして、何代も続けてまるで世襲制のように政治家を家業のように続けている家が多いのです。

「名主の跡は芋畑」のように、自分のことを後回しにして働ける政治家は、どのくらい存在するのか疑問です。

名主のような立場の人が村を治めるために必要だったであろう村八分というルールについてはこちらで解説しています。

まとめ

「名主の跡は芋畑」ということわざは、名主と呼ばれた立場の人たちの苦労を伝える意味が含まれていたのです。

今の世の中には、名主はいませんし、名主のように人々のために働く立派な人もいなくなっています。

一般市民のボランティア精神が、唯一の救いなのかも知れませんね。