「麦と姑は踏むがよい」ということわざを知っていますか?
姑を踏む・・なんて、ちょっと聞き流すことのできないことわざなので、聞いたことがある人はきっと記憶に残ると思います。
「麦と姑は踏むがよい」ということわざには、どんな意味があるのか、気になります。
今回は「麦と姑は踏むがよい」の意味や、由来になった語源について解説しましょう。
「麦と姑は踏むがよい」の意味
「麦と姑は踏むがよい」の意味を理解するためには、麦について知る必要があります。
麦を育てる作業の中に、麦踏みという作業があります。
発芽した後に冬を迎える麦が、霜によって根が浮いてしまうなどの凍霜による害を防ぐために行う作業です。
この麦踏みの作業から「麦と姑は踏むがよい」は、いつもは逆らえずに従うしかできない姑にも、時には抵抗することがあってもよいという意味です。
麦踏みの光景から、姑に抵抗するという意味になるのは、少し疑問が残りますが、ことわざとしては姑に対抗する必要性を伝えることとして使われています。
姑と呼ばれる植物が語源?
「麦と姑は踏むがよい」ということわざの語源は、蕗の薹(フキノトウ)だと言われています。
蕗の薹と言えば、春の訪れを告げる植物としておなじみです。
蕗の薹の天ぷらなど、春のご馳走ですよね。
少しほろ苦くて、風味の豊かな植物です。
じつは蕗の薹には「蕗の姑」という異名があります。
蕗の・・を付けずに姑と呼ぶこともあるようです。
蕗の薹も麦と同じように、踏むと良いと言われています。
「麦と姑は踏むがよい」ということわざがあるので、それが由来となって蕗の薹のことを姑と呼ぶようになったという説があります。
しかし、蕗の薹を姑と呼ぶようになったのは、別の意味があるとも言われているのです。
蕗の薹は、たびたび踏んだ方がよく育つという特徴から、「足繁く姑の様子をうかがうために訪ねなさい」という教えが語源になったという説もあるのです。
「蕗の姑」が先だったのか、「麦と姑は踏むがよい」が先だったのかわかりませんが、1つの意味があるとすれば、随分違いますね。
しかし「麦と姑は踏むがよい」ということわざは、姑の言うなりになるばかりではなく、時には強い態度で抵抗してもよいという意味が定着しています。
「麦と姑は踏むがよい」の使い方
「麦と姑は踏むがよい」の使い方を例文で見てみましょう。
お義母さん、また私の作った食事が気に入らないらしい。
またか。
お寿司の出前を注文しろって言うんだけど。
そんなわがまま許しちゃダメだぞ。
作ってもらった食事に文句言うなんて、わがまま過ぎる。
でも、私からは強く言えない。
そんなに弱気だから図に乗るんだよ。
「麦と姑は踏むがよい」ってことわざがあるだろ。
時には強い態度で言った方が良いんだぞ。
そうね。
言いにくいけど、勇気出してみる。
このような場面で使われます。
まとめ
「麦と姑は踏むがよい」ということわざを調べてみると、蕗の薹の異名が姑だと知ることになりました。
意外なところに姑が使われている言葉は、他にもあるはずなので、別の機会に集めてみようと思います。