【人は情けの下で立つ】とはどんな意味の言葉なの?

ことわざ・慣用句

「人は情けの下で立つ」ということわざを知っていますか?

人情に関することわざは数多くあります。

現代を生きる人たちは、人とのつながりが希薄になったと言われます。

ですが、大きな災害などが起こった時には、若い世代がボランティア活動に参加する様子も見かけます。

人情が消えてしまったわけではなく、見え難くなってしまったのではないでしょうか。

「人は情けの下で立つ」ということわざは、人の情けについて伝えていることわざです。

どのような意味のことわざなのか紹介しますので、参考にしてください。

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「人は情けの下で立つ」とは

「人は情けの下で立つ」とは、

人は一人では生きられない。
お互いに助け合って生きていくもの。
世の中は人情で保たれている。

このような意味があります。

つまり、お互い様に支え合う、相互扶助の精神がなければ世の中は壊れてしまうということを伝えているのでしょう。

同じ意味として「人は情けの下に住む」とも言います。

この頃は、過度な自己責任論を押し付ける人が増えています。

強いものが生き残り、弱いものは消えていくのは仕方ないと、自己責任を突き詰めてしまうと、困っている人に手を差し伸べることすらためらってしまいます。

ですが情のある人は、困っている人を見て見ぬふりすることはできません。

どんなに自己責任論者が増えようとも、やはり「人は情けの下で立つ」の精神を持つ人も消えないのではないでしょうか。

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人の情けについてのことわざ

「人は情けの下で立つ」のように、人の情けに関することわざは他にも色々あります。

いくつかあげてみましょう。

人の情けは身の仇、人の辛さは身の宝

「人の情けは身の仇、人の辛さは身の宝」は、情けをかけられる立場の人に伝えることわざです。

人に情けをかけてもらうと、それに甘えるようになり、自分で努力することを忘れてしまうので、自分のためにならない。

しかし、人からひどい仕打ちを受けるのは、その時は辛くても、悔しさから奮起できるので自分のためになる。

このような意味があります。

たしかに、自分で何とかできそうなことでも、人に助けてもらうのは甘えなので良くないですね。

どうしようもないところまで追い詰められた場合とは違います。

人から辛くあたられた場合も、悔しさから頑張れることもあります。

立ち上がることもできないほど、ひどい仕打ちを受けた場合は情けも必要でしょうが、自分で立ち上がれるのなら、辛い仕打ちも自分の成長の糧になるというわけです。

たとえば、まだ足元がおぼつかない幼い子供が転んだ時に、つい周りの大人は手を出して起こしてあげようとしてしまいます。

そして、転んだショックと痛みで泣いてしまう子供をやさしく慰めてあげたくなるものです。

しかし、子供のためを思うのなら、少し手を出すのをガマンして見守ることも必要です。

大人が何も手を出さなければ、転んだことに驚いたとしても、泣くこともなく立ち上がって何もなかったかのように遊び始めることもあるのです。

情けをかけすぎると、甘えるのが当たり前になるので子供のためにはならないというわけです。

人の情けは世にある時

「人の情けは世にある時」は、人がやさしくしてくれるのは、世間でもてはやされている間だけだという意味です。

わかりやすい例は芸能人やスポーツ選手などでしょうか。

人気があり、活躍している時には、周りの人がとても親切にしてくれます。

ですが、人気に影がさしてしまえば、途端に冷たくなり、離れていってしまいます。

自分が世の中でチヤホヤされている時に親切にしてくれた人は、チヤホヤされなくなったら離れていくものだと伝えているのです。

ということは、人気のない時にやさしく情けをかけてくれた人を大切にしなければいけないということでもありますよね。

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まとめ

人の情けをあてにして甘えてしまう人もいるので、誰にでも情けをかけて良いとは思いません。

ですが、お互い様に支え合い、助け合う気持ちは失いたくないでしょう。

毎年のように大きな災害が起こり、今まで経験したことのない未知の病に怯えるなど、誰しも窮地に追い込まれる可能性があるのです。

「人は情けの下で立つ」ということわざが伝える意味を、いつも胸の中にしまっておきたいと思います。