「能書きが多い」とか「能書きばかり」とか、「能書き」はあまりいい意味では使われません。
「能書きばっかり言ってると嫌われるよ」なんて言われたこともあるので、気持ちの良い言葉ではない印象です。
ですが、そもそも「能書き」とはどんな意味なのでしょうか。
よくわからないまま使っている人が増えているようです。
今回は「能書き」の語源や意味について解説します。
「能書き」を正しく使えているのか、自信のない方はぜひチェックしてみてください。
「能書き」とは
「能書き」とは、
自分自身を宣言するための言葉です。
自分を宣伝するというのは、自分をアピールするために自慢することなので、長々と能書きを聞かされるのは、いい気持ちにはなりません。
「能書きが長い」とか「能書きが多い」と言われるのは、自分の宣伝のために長々と話すのは程々にしなければいけないと指摘されているわけです。
「能書き」のことを自己保身のための言い訳という意味で使っている人もいます。
何か失敗した時に、謝罪の前に色々と失敗の原因について言い訳をするような様子に対して「能書きはいいから」と使われたりします。
自己宣伝という意味とは少し違いますが、自己保身のための説明として使うのも一般的に浸透しているので、間違いではなくなっています。
また、何かを言い訳する時だけじゃなく、人と話す時に説明のための前置きが長いと「能書きはそのくらいで本題に入ってよ」などと使われることがあります。
能書きの意味としては当てはまらないと思うのですが、能書きの語源を探ると、間違いと言い切れないようです。
引き続き能書きの由来について探ってみましょう。
「能書き」の語源とは
「能書き」は、もともとは自己宣伝という意味ではなく、薬の効能を書いたものを指していました。
医薬品を買うと、効能や使用上の注意などが詳しく書かれた説明書が付いています。
薬の効能を書いたものが「能書き」と呼ばれていたのです。
それがいつしか、自分が優れていることを並べ立てたり、自慢話をしたり、自己宣伝することを「能書き」というようになったのです。
ですから長々と説明することを「能書きが多い」とか「能書きばかり」というのは、もともとの意味を考えれば間違いではありません。
薬の効能を示すのが能書きの語源だとすれば、その人の特技や長所を示すことなので、悪い意味ではないはずですが、自分で自分の良い点をアピールするのは、聞かされる側はうんざりします。
人から言われることではなく、自分で自分を宣伝することなので、「能書きが多い」と言われれば褒め言葉ではなくなったのです。
「能書き」と「うんちく」の違い
「能書き」と「うんちく」は間違えて使われることがあります。
「うんちく」は、研究や勉強によって蓄えた知識のことです。
「うんちくが多い」と「能書きが多い」は同じ意味ではありません。
「うんちくが多い」は沢山の知識があるということです。
「能書きが多い」は自己宣伝が多いということなので、間違えないようにしましょう。
「能書きを垂れる」とは
「能書きが多い」とか「能書きばかり」と言われるのは、本来の意味であれば説明が多いということなので、必ずしも批判ではありません。
しかし「能書きを垂れる」という表現になると、「ダラダラと説明が長い」ということなので、批判を込めた表現です。
一般的には「能書き」を褒め言葉として使うことはほとんどないので、「能書き」という言葉を耳にした時には、気を付けた方が良いのではないでしょうか。
まとめ
「能書き」の語源は薬の効能を書いたものだったのですね。
語源からは悪い意味の言葉ではないはずですが、自分で自分のことを宣伝する行為というのは、あまり好かれないのですよね。
とくに自慢話をするのは良くないと教えられることの多い日本人は、自画自賛は程々にしないと嫌われる要因になるのです。
能書きは控えめにしないといけませんね。