不徳の致すところとはどんな意味?謝罪の言葉として使うのは正しい?

ことばの意味

芸能人や政治家などがテレビで謝罪会見をする様子は、もう見飽てしまうほどですよね。

政治家の不祥事は、私たちの生活にも無関係ではないので、きちんと謝罪してもらわないと困ります。

ですが、芸能人や有名人のスキャンダルは、わざわざ世間に向けて謝罪する必要もないと思うのですが、イメージが大切なのでそうもいかないのでしょう。

さて、謝罪会見や謝罪コメントなどでよく使われる「不徳の致すところ」ですが、これは謝罪の言葉として正しいのでしょうか。

「不徳の致すところ」だけで謝罪の意味があるのか、調べてみました。

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不徳とはどんな意味?

「不徳の致すところ」の意味を知るためには、不徳の意味を理解する必要があります。

不徳とは、道徳的なことが備わっていないこと、つまり不道徳という意味です。

道徳とは、モラルや倫理に反しないことです。

わかりやすく言えば、正しいこと、善いことです。

「徳を積む」という言葉がありますが、これは善い行いを積み重ねることで人から尊敬される立派な人になれるという意味です。

徳は損得の得ではなく、道徳の徳のことなのです。

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「不徳の致すところ」とは

「不徳の致すところ」とは、

人として身に付けてしなければいけないことが備わっていないので、許されない行為をしてしまい、責任を感じている。

という意味です。

つまり、人として身に付けていなければいけない道徳がないので、社会の倫理に反するようなことをしてしまったと認めているわけです。
自分の間違いを認めているので、謝罪をする言葉として使うのは間違いではありません。

「不徳の致すところ」だけで謝罪になる?

芸能人が自らのスキャンダルを認めて謝罪する時に「私の不徳の致すところです」と使っています。

意味としては、自分が道徳がないから不祥事を起こしたことを認めているのですから、謝罪と言えば謝罪なのかも知れません。

ですが、謝罪としては「不徳の致すところ」だけでは十分とは言えないのではないでしょうか。

「私が不道徳だったからなので、ごめんなさい」というつもりであれば「私の不徳の致すところです。申し訳ありません」と続けるのが正しい謝罪のはずです。

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「不徳の致すところ」を使う場面

「不徳の致すところ」を謝罪として使うのは、社会的に責任を感じていることを表明する場合です。

家族同士や親しい友人、恋人同士などで使う言葉としては相応しくありません。

ビジネス上で使う場合は、社外に向けてです。

自分の上司など、社内で使うと逆に気持ちが伝わらないかも知れません。

道徳的なことに反した行いをしたわけじゃなく、仕事上のミスに対しては、「不徳の致すところ」は使わない方が謝罪の気持ちが伝わるでしょう。

反省が伝わる謝罪の言葉とは

有名人や政治家などが不祥事を起こした時の謝罪会見では、「不徳の致すところ」の他にも「誠に遺憾です」とか「お詫びの言葉もございません」のような言葉を使います。

すべて謝罪の意味を持つ言葉なのかも知れませんが、このような言葉は親しい関係では使いませんよね。

謝る時は、許して欲しい相手との関係性によって、言葉を選ばないと逆効果になる恐れもあります。

「ごめんなさい」とか「悪かったと反省している」など、カッコつけずに素直な言葉を使った方が、反省している気持ちが伝わりやすいこともあります。

同じ意味の言葉が数多くあるからこそ、言葉選びは重要ですよね。

まとめ

「不徳の致すところ」の意味を理解すると、政治家が起こした不祥事の謝罪え使うのは変だと思いませんか?

道徳感が備わっていない人物が、国民の代表として選ばれることがそもそも変だと思えて仕方ありません。

もう政治家の謝罪会見で「不徳の致すところ」というフレーズは聞きたくないと心から思います。