芸能人や政治家などがスキャンダルを起こした時などに、「謹慎」や「自粛」という言葉を使います。
「謹慎中につき活動を自粛いたします」と反省の態度を示すために言いますが、そもそも「謹慎」と「自粛」は違う意味なのでしょうか。
「謹慎」や「自粛」という言葉を頻繁に耳にすることがあると、この言葉の意味に疑問を持つようになります。
正しい使い方ができているのか、2つの言葉の意味を調べてみましょう。
謹慎とは
「謹慎」と言えば、処分として命じられるイメージがありますよね。
例えば芸能人がスキャンダルを起こした時などに、所属事務所から謹慎処分を受けるとか。
謹慎とは処罰として下されることなのか、意味を調べてみました。
謹慎とは、
自分の失敗や悪事を反省して、行動や発言を控えること。
また、その反省のために外出を控えること。
という意味があります。
つまり、謹慎というのは上から命じられることではなく、自分で反省して言動を控えることです。
ですが、重い処罰を下すようなことではない場合(法を犯していない)には、謹慎を処分の一環として課すこともあります。
処分として謹慎を命じる場合は、本人にしっかり反省させるためです。
謹慎はただ外出を控えておとなしくしていることではなく、失敗や悪事を反省して二度と同じことを繰り返さないことが目的なのですね。
反省文を書いて、自分の間違いに気付くために向き合うことや、社会奉仕の活動などをして反省するのが謹慎なのでしょう。
ただ外に出るのを控えて、家の中でじっとおとなしくするだけでは、謹慎とは言えないのかも知れませんね。
家の中でボーっと過ごして、のんびりしながら鋭気を養うための時間ではないのです。
自粛とは
「自粛」といえば、新型コロナウイルスの感染拡大が問題になってから、毎日のように耳にする言葉です。
人との接触を減らすために、経済活動の自粛や外出自粛などが呼び掛けられています。
テレビのニュースで呼びかけられる自粛要請という言葉もあります。
自粛とはどんな意味なのでしょうか。
謹慎との違いを理解するために、調べてみました。
自粛とは、
自分の行動や発言に対する反省に基づいて、自分からすすんで慎むこと。
という意味です。
自分からすすんで慎むことが自粛なので、自粛を要請されるのは意味としては少し違和感があります。
ですが、自粛を促して反省させるという使い方もあります。
ですが、自分に落ち度もなく、反省することもないのに自粛を要請されて慎むというのは、本来の自粛の意味とは少し違ってきます。
つまり、コロナウイルスの感染拡大を抑えるために外出を控えるのは、自粛ではなく自制の方が当てはまります。
コロナウイルスのように、世界のどこで発生するか予測できないウイルスが驚異的に広まった原因を作ったわけでもないので、外出を自粛するのは少し意味が変わってしまいますね。
自粛は反省に基づくことなので、その意味を間違えないように気を付けたい言葉です。
自粛に関係する新たな言葉
新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本人のほとんどが未経験の「緊急事態宣言」というのが発令されました。
強制力とか罰則などがないので、海外のような厳しい制限はなかったのですが、日本人は真面目な国民なので、外出を控えておとなしくしている人が多かったですよね。
自分には責任もないのに自粛するのは、国民性がよく出ているのではないでしょうか。
そして「自粛疲れ」や「自粛警察」という新しい言葉が生まれます。
自粛生活のことを「巣ごもり」と言い換えたり、自粛が長く続くストレスによる「自粛疲れ」など。
また、「不要不急」を指摘して批判する「自粛警察」と呼ばれる人まで出てきました。
これらの自粛に関係する新しい言葉は、今後も残っていくのかわかりませんが、このご時世だからこそ生まれた言葉として、記憶しておきたいものです。
まとめ
謹慎も自粛も反省のために言動を控えることなので、大きな意味の違いはありません。
ですが、自粛の方が自分からすすんで控えることなので、処分として自粛を命じられることはないのですね。
つまり「謹慎中につき活動を自粛する」は似通った意味の言葉を重ねています。
自粛と謹慎の使い方としては、どちらか1つだけにした方が伝わりやすいのではないでしょうか。