「男は度胸、女は愛嬌」ということわざがあるように、愛嬌のある女性は好感度が高いのですよね。
では、愛想の良い人はどうなのでしょう。
愛嬌も愛想は、どちらも同じような意味の言葉として使われているのですが、全く同じ意味ではないのです。
たとえば「愛想をふりまく」と「愛嬌をふりまく」はどちらが正しいのですが、曖昧に使っている人が増えています。
どちらもふりまかれれば悪い気はしないので、どちらも正解なのでは?という答えもあるかも知れませんね。
ですが、「愛想」と「愛嬌」は同じではないので、ふりまくのはどちらか1つなのです。
どちらが正しいのか、愛想と愛嬌のそれぞれの意味から理解しましょう。
愛想の意味とは
愛想とは、接する相手が心地よく感じるような態度のことです。
飲食店でお客が支払う時に「お愛想」というのは、客側ではなくお店側が使う言葉が徐々に客側にも使われるようになりました。
お金を支払ってくれるお客様が最後まで気分良く店を出られるように、精いっぱいのサービス精神を表す態度をしようとするので「お愛想」というわけです。
サービス業と呼ばれる人たちは、お客様が快適だと感じられるように接するのが仕事です。
そういう業種の人たちは、愛想も業務のうちに含まれるのでしょう。
愛嬌の意味とは
愛嬌とは、可愛らしいこと、にこやかなこと、親しみを感じさせる表情、和ませるような顔つきのことです。
愛嬌のある人というのは、女性に限ったことではなく、思わず話しかけたくなるような雰囲気のある人のことなので、男女共通して使えます。
「男は度胸、女は愛嬌」は、男は一大事に決断できる度胸が必要で、女はにこやかに人を和ませる可愛らしさが大切だということです。
男性には愛嬌はないということでもないのですね。
男性でも人懐っこくて親しみやすいタイプには、「愛嬌がある」と表現することもあります。
ふりまくのは「愛想」か「愛嬌」か
愛想と愛嬌は似ているようで少し違います。
愛想は態度のことで、愛嬌は表情や物腰のことです。
ふりまくのは愛想ではなく愛嬌です。
「愛想をふりまく」ではなく「愛嬌をふりまく」が正しい使い方です。
愛想は態度なのでふりまくのではなく「愛想よく振舞う」と言った方が言葉の意味としては正しいのです。
「振りまく」と「振舞う」は言葉としても似ています。
そこに「愛想」と「愛嬌」という似ている2つの言葉が混ざり合えば、ゴチャゴチャになって迷うのも仕方ないですよね。
尽かすのは「愛想」だけ
「愛想」と「愛嬌」は意味も似ているので、誤用されるのも仕方ないのかも知れません。
ですが、「愛想を尽かす」を「愛嬌を尽かす」と誤用する人はほとんどいないでしょう。
愛想よく接してきたのに、期待外れだったり、裏切られるようなことが続いけば、もう愛想よく振舞おうなんて思いません。
そんな気持ちが消えることを「愛想が尽きる」とか「愛想を尽かす」と言います。
愛嬌はその人がもともと持っている魅力のことでもあるので、尽きることはないのです。
「愛想」と「愛嬌」を分けるポイント
「愛想」と「愛嬌」を分けるポイントは、努力や工夫によって作り上げる様子や態度かどうかがポイントです。
愛嬌はその人が何も意識して作るものではないし、努力や工夫で生まれるものではありません。
生まれながらの魅力と考えればいいのです。
対価を求めるような仕事の人や、見返りを期待するような間柄では「愛想の良い態度」になるものと考えましょう。
まとめ
愛想と愛嬌は間違えやすいのですが、「振舞う」のは愛想で、「ふりまく」のが愛嬌と使い分けるとスッキリするのではないでしょうか。
愛嬌のある人が愛想良く振舞えば、無敵になりますね。
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