「子は生むも心までは生まぬ」ということわざを知っていますか?
ことわざには、親が子供を思い、子供が親を思う言葉が沢山あります。
親孝行に関することわざや、子育ての教訓のようなことわざを集めたら数えきれないほどあるでしょう。
「子を生むも心までは生まぬ」も親子関係を示しています。
どのような意味があるのか、どのような時に使うのか解説しましょう。
「子は生むも心までは生まぬ」の意味
「子は生むも心までは生まぬ」とは、
親子は顔や体は似るが、その心まで親に似ているわけじゃない。
という意味の言葉です。
子供は親とは別人格ですから、性格も違うのは当たり前のことですが、このことわざは子供の性格が悪くて困っている親が使う言葉です。
同じ意味で「形は生めど心は生まぬ」とも言います。
この言葉も親子の姿かたちは似ても、心は別だという意味です。
性格までは親と同じではないという意味なので、子供は別人格であり、性悪な子だとしても親から受け継いでいるわけじゃないということなのです。
性格が良くて、親の贔屓目を差し引いても素直で自慢の子供には、「子は生むも心までは生まぬ」も「形は生めど心は生まぬ」とは言いません。
「子は生むも心までは生まぬ」の使い方
「子は生むも心までは生まぬ」を使うのは、自分の子供なのに手を焼いている親が使う言葉です。
親の贔屓目という言葉があるように、親は自分の子供の評価を甘くしてしまうものです。
それなのに、自分の子供ながら性格が悪いことを嘆いてしまう時に使う言葉ですから、子供には嬉しい言葉ではありません。
「素直に人の話を聞けないのは、一体誰に似たのか」
「育て方間違えたのかも知れない」
このようなことを思わせてしまうほど問題のある子の親は、「自分の子だけれど、性格は親とは全く違う!」という気持ちを込めて「子は生むも心までは生まぬ」を使いたくなるでしょう。
親の性格は子供に遺伝しないのか?
地の繋がった親子は、顔かたちが遺伝しても、心までは遺伝しないから、心までは似ていなくても仕方ないというのが「子は生むも心までは生まぬ」に込められた意味です。
ですが、「子は親を映す鏡」という言葉もあります。
このことわざは、顔や体格など外見がに似るだけではなく、子供の仕草、行動、価値観、考え方などは親の影響を受けるという意味なのです。
「子は生むも心までは生まぬ」という言葉の意味では、心までは親に似ることはないという意味があるのですが、親を見て育つ子は、性格も親の影響を受けやすいはずです。
「子は生むも心までは生まぬ」は、子供が思うようにならないことに対する愚痴や嫌味が含まれています。
もしも子供がとても立派で良い人間に育てば、自分に似ていると言いたくなるでしょう。
親とはそういう身勝手なところもありますよね。
まとめ
親は実子に対して可愛さのあまり甘くなりがちです。
ですが、甘やかし過ぎてしまえば、結果として子供の性格にも影響を及ぼします。
甘やかすだけ甘やかしておいて、自分の希望通りの素直でやさしい子にならなかったら、自分には責任がないと考える親はたしかに急増中です。
子供は生まれてからも、大人が手を差し伸べなければ生きられません。
顔や体格だけじゃなく、性格にも親が反映するはずなので、「子は生むも心までは生まぬ」は無責任発言にも聞こえます。
あくまでも親の愚痴なので、誰かの役に立つような言葉とは思えないですね。