「恣意的」という言葉は、日常の会話ではほとんど使われません。
使っている人もいるのかも知れませんが、ごくわずかではないでしょうか。
ですが、「恣意的」のような言葉を急に頻繁に耳にするようになることがあります。
それは政治のニュースです。
日本の政治家は、とかく難しい言葉を使う傾向があります。
小学生の子供にもわかるような言葉で話してくれれば、もっと日本人も政治に興味を持つのに・・って思ったこともあります。
今回は、最近よくテレビのニュースなどで耳にするようになった「恣意的」の意味や使い方を解説します。
「恣意」とは
「恣意的」とは、「恣意」に形容動詞の「~的」をつけた言葉です。
「恣意」とは、
その時々の思い付き。
気ままな考え。
身勝手にふるまう心。
自分勝手な考え。
自分の欲するままにふるまう心。
このような意味の言葉です。
つまり、日常的な会話の中では「思い付きの考え」とか「自分勝手な考え」という表現をする時に「恣意的」という言葉が使えるわけです。
「恣意的」と「意図的」の違い
「恣意的」という言葉を頻繁に耳にするようになったのは、やはり政治のニュースからです。
最近やけに「恣意的」って聞くけど、どんな意味なんだろう・・って思って調べた人もいると思います。
意味を理解すれば難しい言葉ではないのですが、あまり使われないので???ってなりますよね。
ただ、意味を知れば知るほど「意図的」の方がしっくりする表現ではないかと思ってしまいます。
「意図的」とは、明確な目的、理由があることです。
簡単な表現では「わざと」とか「狙って」が当てはまります。
「恣意的に○○されることはありません」と政治家が言うのは「思い付きで○○されることはありません」という意味です。
政治家が思い付きで身勝手な考えで仕事することなんてそもそも無理でしょう。
「意図的に○○されることはありません」の方が、しっくりします。
ですが、「恣意的」は気ままな思い付きの行動なので、明確な理由が説明できません。
意図的ではなく敢えて恣意的と表現されるのは、「理由をきちんと説明できないようなこと」という意味が含まれているのです。
理由を説明できないことが政治の世界で行われるのは怖いことです。
「恣意的」という言葉が政治のニュースで頻繁に使われること自体が、ほんとは大問題なのですよね。
まとめ
今では多くの人が意味を理解し、日常会話にも使うようになった「忖度」という言葉もあります。
「忖度」という言葉は、日本語以外の言語に訳すのがとても難しいということで話題になりました。
そういう微妙な表現が多いのが日本語の特徴なのでしょう。
「恣意的」という言葉も「忖度」のように、日常会話で普通に使われるようになるのかも知れません。