【無理が通れば道理が引っ込む】とはどんな意味の言葉なの?

ことわざ・慣用句

「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざを知っていますか?

この言葉は、世の中がおかしな方向に進むようになるとよく使われます。

今の時代にも「無理が通れば道理が引っ込む」ということをよく見聞きします。

この言葉の意味を考えてみましょう。

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「無理が通れば道理が道理が引っ込む」とは

道理とは、正しい道筋のことです。
無理は理にかなわないことで、筋の通らないという意味でもあります。

「無理が通れば道理が引っ込む」とは、

道理に反することが平然と行われるような世の中では、そのうち道理にかなったことは消えてしまう。

また、無理がまかり通り、道理が聞き入れられなくなった世の中では、身を守るためにおとなしく引っ込んでおいた方が安全だ。

という意味です。

どう考えても間違っていることでも、無理を押し通す力に負けてしまうような時は、正しいことをしようとする人が糾弾されてしまったりすることが歴史上にも起こってきました。

正しいことを正しいと言っても聞き入れられなくなる世の中になると「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざがよく使われるのでしょう。

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「無理も通れば道理になる」とは

「無理が通れば道理が引っ込む」とよく似た意味の言葉で「無理も通れば道理になる」があります。

これは「無理が通れば道理が引っ込む」よりもさらに無理がまかり通ることです。

「無理が通れば道理が引っ込む」は、筋を通すよりも、筋の通らないことを無理に押し通す力に負けてしまうことを表しています。

しかし「無理も通れば道理になる」は、筋の通らないことでも、無理を押し通していればそのうちそれが道理になってしまうことを表しています。

どちらも悪い時代になると、正義が悪に負けてしまうことを懸念しているのですね。

対義することわざ

「無理が通れば道理が引っ込む」とか「無理も通れば道理になる」なんてことばが平然とまかり通るような社会に生きるのはとても怖いと思います。

正しいことを正しいと声に出すこともできなくなるなんて、嘆かわしい世の中です。

ですが、「道理に向かう刃なし」ということわざもあるのですよ。

どんなに時代が悪くても、結局は道理には勝てないという意味です。

「道理道を行く」ということわざも、「無理が通れば道理が引っ込む」に対する意味です。

一時的には悪が勝ったように見えたとしても、最後には正しいことが勝つということです。

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まとめ

筋道の通った正しいことが負ける意味の言葉が世の中に広まるのは困ります。

ですが、やっぱり最後には正しい道理が通るのです。
そうじゃなければ困りますからね。