「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という川柳を聞いたことがありますか?
あまり使われていないので、知っている人の方が少数派かも知れませんね。
「先生」と「馬鹿」という単語が1つの川柳に使われるのは、きっと深い意味があるのではないかと思います。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」の意味や使い方について調べてみました。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」とは
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」には3つの意味があるようです。
1つの川柳でも、使い方によっては複数の意味を持つのはよくあることです。
先生と呼ばれる人に向けた意味①
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」は、「先生」と呼ばれていい気になってしまうほどの馬鹿ではないという意味があります。
先生と呼ばれて天狗になってしまうような人もいますが、そういう人間に対して批判しています。
政治家になると急に「先生、先生」と呼ばれていい気になって偉そうにふんぞり返るような人間がいますよね。
自分はそういう人間ではないと主張する時に「先生と言われるほどの馬鹿でなし」と言います。
先生と呼ばれる人に向けた意味②
2つ目の意味は、先生と呼ばれて得意になって偉そうにする人を嘲ることです。
「先生」と呼ばれて天狗になっている様子は、周囲から見ると滑稽なのに、本人だけは気付いていません。
そのような様子を皮肉たっぷりに表現する時に使います。
先生と呼ぶ人に向けた意味
3つ目は、やたらと「先生」と呼びたがる風潮に対する批判です。
例えば、バーやナイトクラブなどで普通のサラリーマンに対しても「社長」と呼んで気分良くさせるのと同じように、やたらと「先生」と呼んで持ち上げようとする人もいます。
「先生」と呼ばれても、それが敬意を込めているとは限らないのです。
そのような風潮に対して批判する意味でも「先生と言われるほどの馬鹿でなし」が使われるのです。
政治家を「先生」と呼ぶ理由
「先生」と呼ばれるのは、教師、医師、弁護士、作家、画家などです。
資格がなければできない職業や、創造性が必要な職業に対して使います。
ところが、「先生」と呼ばれる職業の中でもこれに当てはまらないなのが政治家です。
なぜ政治家になると「先生」と呼ばれるのか謎です。
なぜ政治家のことを「先生」と呼ぶようになったのか、その由来は議会制が始まった明治時代までさかのぼります。
明治時代になると、選挙で議員を選ぶようになります。
選ばれた日本全国の議員には、書生と呼ばれる若い人が身の周りの世話をするために一緒に地方から東京に出てきました。
身の周りの世話をしながら政治の勉強をする若者たちが「先生」と呼んだことが由来だと考えられます。
令和の時代になっても、「先生」と呼ばれていい気になっている政治家は山ほどいると思います。
そういう政治家を見ると「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という川柳を思い出してしまいそうです。
まとめ
やたらと「先生」を使うのは違和感をおぼえる人もいます。
心の底から敬意を払っているわけじゃないのに、「先生」と呼ばれて天狗になるような人にはなりたくないですね。